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出典検索?: "原田眞人"
はらだ まさと
原田 眞人
2015年、第28回東京国際映画祭にて
生年月日 (1949-07-03) 1949年7月3日(74歳)
出生地 日本・静岡県沼津市
職業映画監督・脚本家
ジャンル映画
活動期間1979年 -
配偶者福田みずほ
著名な家族原田遊人(長男)
事務所スカイホーク
(業務提携:つばさプロジェクト)
公式サイト ⇒公式プロフィール
主な作品
映画
『KAMIKAZE TAXI』
『バウンス ko GALS』
『金融腐蝕列島〔呪縛〕』
『突入せよ! あさま山荘事件』
『クライマーズ・ハイ』
『わが母の記』
『駆込み女と駆出し男』
『日本のいちばん長い日』
受賞
日本アカデミー賞
優秀監督賞
1999年『金融腐蝕列島 呪縛』
2002年『突入せよ!あさま山荘事件』
2008年『クライマーズ・ハイ』
2012年『わが母の記』
2015年『日本のいちばん長い日』
2017年『関ヶ原』
優秀脚本賞
2002年『突入せよ!あさま山荘事件』
2008年『クライマーズ・ハイ』
2012年『わが母の記』
2015年『日本のいちばん長い日』
ブルーリボン賞
監督賞
1997年『バウンス ko GALS』
その他の賞
報知映画賞
監督賞
1997年『バウンス ko GALS』藤本賞 奨励賞
2012年『わが母の記』日刊スポーツ映画大賞
監督賞
2015年『日本のいちばん長い日』
『駆込み女と駆出し男』毎日映画コンクール
脚本賞
2015年『駆込み女と駆出し男』
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原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - )は、日本の映画評論家、映画監督、脚本家。
静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。 静岡県沼津市生まれ。静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。1972年ロンドンに語学留学。『ラストショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。著書も出している。 ロサンゼルスにて6年間の映画監督修行を積み、1976年にジャーナリストの福田みずほと結婚。一男一女をもうけ、息子は俳優の原田遊人。 1979年に一時帰国して『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。1983年に西ドイツとの合作映画『ウィンディー』をヨーロッパで撮影した後、1984年に帰国。以後、監督業のみならず、脚本執筆や俳優業など映画関係で多方面に活動。テレビ映画やオリジナルビデオも手がけ、中でも1991年から1992年にかけて監督した木村一八主演の『タフ』シリーズは三池崇史監督らが評価している[1][2]。 1980年上映の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』、1982年上映の『スター・ウォーズ』の日本語版吹替版の翻訳監修と演出を担当。1988年の映画『フルメタル・ジャケット』において、完璧主義者といわれるスタンリー・キューブリック監督が、猥褻な表現が直訳されていないため初稿の戸田奈津子の日本語字幕にNGを出した。配給のワーナーからの要請で原田に白羽の矢が立ち、字幕翻訳家としてもデビューした。その後原田は兵隊スラングが飛び交う映画『グッドモーニング・ベトナム』でも字幕を担当した他、キューブリックの代表作『時計じかけのオレンジ』ビデオ用字幕の新訳も手がける。 2003年、映画『ラスト サムライ』で「俳優として」ハリウッドデビュー。 インターネット上での評論が活性化した近年の風潮を「悪貨」として否定し、ネットに拠らない「本物の映画ファン」の意見こそが重要だと話している。また、2007年から日本大学国際関係学部教授として後進の育成にあたっている。
人物・来歴