原田 欽庸
名前
カタカナハラダ ヨシノブ
ラテン文字HARADA Yoshinobu
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1986-05-17) 1986年5月17日(38歳)
出身地埼玉県川口市
身長183cm
体重75kg
選手情報
在籍チーム 栃木シティFC
ポジションGK
背番号1
利き足右足
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2005-2010水戸ホーリーホック 6 (0)
2011栃木ウーヴァFC 36 (0)
2012-2013V・ファーレン長崎 31 (0)
2014-2017ツエーゲン金沢 117 (0)
2018-栃木ウーヴァFC/栃木シティFC 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月8日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
原田 欽庸(はらだ よしのぶ、1986年5月17日 - )は埼玉県川口市出身のプロサッカー選手。日本フットボールリーグ・栃木シティFC所属。ポジションはゴールキーパー。 成立学園2年次に第82回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。初出場ながら3回戦まで進んだが、岐阜工業に敗れた。 2005年にJ2の水戸ホーリーホックに入団。しかし、不動の正GK本間幸司が君臨していたため出場機会は限定され、本間が負傷でシーズンを棒に振った2006年も第2GKの武田博行にポジションを譲った。本間が復帰し、武田が栃木SCへ移籍後も控えのポジションすら確保できず、年間2、3試合程度の出場にとどまった。結局、2010年で水戸を退団。 2011年3月9日、栃木ウーヴァFCへ移籍[1]。移籍後は原裕晃・井野正行とのポジション争いを制し、自己最多の33試合に出場。初めてレギュラーとしてプレーした。 J2でのプレーを実現させるため、2012年1月16日にV・ファーレン長崎へ移籍[2]。移籍後は近藤健一からポジションを奪うと、そのまま閉幕までその座を守り抜きJFL優勝とJ2昇格に貢献した。 しかし、J2で迎えた2013年になると岩丸史也と金山隼樹の台頭によって正GKの座を失い、出場試合がなかった。 2014年1月10日、この年発足したJ3に参入するツエーゲン金沢へ完全移籍[3]。移籍後は大橋基史から定位置を奪い、J2昇格に貢献した。その後もレギュラーを守り続けたが、2017年は新たに加入した白井裕人にポジションを奪われ、出場機会なしに終わった。同年シーズン末、契約期間満了により退団[4]。 2018年1月6日、栃木ウーヴァFCに7年ぶりに復帰した[5]。2018年[6]、2020年および2022年シーズンには、関東サッカーリーグ1部ベストイレブンに選出された[7][8]。 国内大会個人成績 その他の公式戦
経歴
所属クラブ
1999年 - 2001年 東川口フットボールクラブ (埼玉)
2002年 - 2005年 成立学園
2005年 - 2010年 水戸ホーリーホック
2011年 栃木ウーヴァFC
2012年 - 2013年 V・ファーレン長崎
2014年 - 2017年 ツエーゲン金沢
2018年 - 栃木ウーヴァFC/栃木シティFC
個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2005水戸31J200-0000
200600-0000
200710-2030
200800-0000
200910-1020
201040-0040
2011栃木U30JFL330-20350
2012長崎31310-20330
2013J200-0000
2014金沢J3330-1010
2015J2420-10430
2016420-00420
201700-0000
2018栃木U
/栃木C関東1部180--180
2019180-10190
202090-0090
2021130-00130
20221180--180
2023100-00100
2024JFL-
通算日本J2900-40940
日本J3330-10340
日本JFL640-40680
日本関東1部860-10870
総通算2730-1002830
2016年
J2・J3入れ替え戦 2試合0得点
個人タイトル
2012年日本フットボールリーグベストイレブン
脚注^ ⇒原田 欽庸選手 栃木ウーヴァFCへ完全移籍のお知らせ 水戸ホーリーホホックオフィシャルサイト 2011年3月9日
^ ⇒原田 欽庸選手 河端 和哉選手 加入のお知らせ V・ファーレン長崎公式サイト 2012年1月16日
^ ⇒原田 欽庸選手 移籍加入のお知らせ - 2014年1月10日ツエーゲン金沢公式HP
^ “契約満了選手のお知らせ