原理主義(げんりしゅぎ、英語: fundamentalism、ファンダメンタリズム)は、主に以下の意味で使用されている[1][2]。 「ファンダメンタリズム」はもともとアメリカ合衆国の保守的プロテスタント派が1920年代に使用したキリスト教の神学用語である。初期のファンダメンタリズムは、当時のプロテスタント主流派のモダニスト(近代主義者)に対抗した[3]神学運動であったが、その後、北米のプロテスタント派内の穏健な保守派はエバンジェリカル(福音派)と呼称され、超保守派を指してファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)と呼ばれるようになった。 一方、イラン革命(1979年)以降、アメリカのジャーナリズム等において、イスラームの急進的な政治運動に対し、キリスト教のファンダメンタリズムとのアナロジーから「Islamic fundamentalism」という用語が使われるようになった。日本にこれが輸入された際「イスラム原理主義」と和訳された。さらにこの表現が敷衍され、日本のキリスト教界では「根本主義」と翻訳されていたキリスト教のファンダメンタリズムに対して、キリスト教原理主義という訳語が使われるようになった(主に現在の北米の宗教右派に対する呼称として使われる)。他の宗教にも同じくヒンドゥー原理主義、ユダヤ原理主義といった用法が派生している。 今日、「原理主義」という言葉はマスメディア等において広く流通しており、宗教学や社会科学の文脈においては、聖典を文字通りに受け取ろうとする態度や、世俗主義に反対する傾向などを特徴とする運動や思想を指す言葉として使われるようになっている[4]。しかし厳密な定義があるわけではなく、学術的にも通俗的にも原理主義という語の適用範囲は定まっていない。原理主義という語は、「単一の価値観だけを信奉し、他者の価値観を排撃する」という意味で、嫌悪する意図で使用される例が多い。そのため、ごく一部の例外を除き当事者によって自称されることはない。 アカデミズムにおいては、原理主義という用語を比較宗教学的・通文化的な分析のための概念として活用しようとする立場、通宗教的な比較のための概念としては厳密性を欠くとしてその有効性を疑問視する立場、原理主義は不適切な差別用語として使われてきたので別の言葉で代替すべきであるとする立場がある[4][5]。 日本語表現としての原理主義は1979年のイラン革命以前には、宗教学分野において植村正久により、「根本主義」と和訳された語が使われていた。本来は一部のプロテスタントの神学的立場を表す固有名詞・具体名詞なので、アメリカ合衆国ではファンダメンタリストにもそれ以外の人々にも知られていたが、アメリカ合衆国以外の国では、キリスト教徒以外の人々にとっては知名度が低い言葉であった。 一部のキリスト教徒の神学上の立場を表す意味で根本主義と日本語訳される場合と、原理主義と日本語訳される場合とでは、意味が異なる。「原理主義」と訳される場合は嫌悪の意味を含み、自称されることはない。 一神教に特徴的な思想であるが、仏教など多神教的傾向のある宗教においても、一部で明らかな原理主義が存在する。ミャンマーやスリランカには民族主義と結びついた仏教原理主義者が存在している。 1991年にシカゴ大学の原理主義プロジェクトが発表した原理主義の一般化の定義[6][7] キリスト教用語としてのファンダメンタリズムはキリスト教根本主義と同義語であり、固有名詞であり具体名詞である[6][8][9][10]。本来は、1910年代に保守的なプロテスタントの神学者たちによって発行された一連の小冊子『ザ・ファンダメンタルズ
キリスト教の用語で、聖書の無謬性を主張する思想や運動(キリスト教根本主義)。対比語は自由主義神学(リベラル・リベラリズム)、近代主義(モダニスト)、世俗主義など。
上記より派生し、広く聖典や教義を墨守する信仰や立場(イスラム原理主義など)、更には基本的な原理原則を厳格に守ろうとする立場(市場原理主義など)。対比語は世俗主義、相対主義、修正主義、多元主義など。
概要
一般用語としての原理主義
イデオロギー的特徴
近代化による宗教危機に対する反応
選択的な教義の構築
善悪二元論的な世界観
聖典の無謬性の主張
終末観的世界認識と救世思想
組織的特徴
選民思想
組織の内と外の明確な区別
カリスマ的な指導者の存在
厳格な規律・行動規範
キリスト教原理主義詳細は「キリスト教根本主義」、「キリスト教原理主義」、および「宗教右派」を参照
19世紀後半、チャールズ・ダーウィンの進化論に代表される近代知の発展とキリスト教信仰の間に齟齬が生じると、近代に沿うように自由主義神学(リベラリズム)が生まれ、聖書は科学ではなく、聖書に記載されたイエスの復活などの奇跡は喩えであるとした。これに対して、聖書を字義通り信じることを信仰の核とする伝統主義神学の側から強い反発が起き、1910年から1915年にかけてアメリカ合衆国で伝統主義神学の主張をまとめた12冊の『ザ・ファンダメンタルズ』(原理・根本)と題した冊子が出版され、自由主義神学に対する抵抗が広がった。1920年に「ファンダメンタリスト」(原理主義者)という言葉が作られ、攻撃的なまでに伝統的信仰を維持しようとする勢力を呼ぶようになった[12]。
かれらファンダメンタリストをもって自ら任じた人々の主張は、以下を伝統的なキリスト教の五つの根本(ファンダメンタルズ)とみなす認識や信条[8][13][14][15][16][10]に基づいていた。
聖書の無誤性
イエスは母マリアの処女懐胎により誕生
代償的贖罪の教理(イエスの贖罪死)
イエスの体の復活
イエスの再臨
この5つの基本的信条は、1895年にナイアガラで開催された聖書会議で宣言されたものであった[17]。聖書の無誤性を信じる聖書無謬説は自由主義神学の対義語である。
進化論教育を争点としたスコープス裁判(1925年)などを機に、ファンダメンタリズムという言葉は一般の人々にも知られるようになり、元は自称であったファンダメンタリストという言葉は、進化論を拒絶して近代科学と相容れない時代錯誤的な思想を主張する人々といったニュアンスを帯びた他者からのレッテルとしても使われるようになった[11]。1960年代以降、聖書の無謬性を信じ、リベラル派に対抗する保守的プロテスタントは福音派などを自称するようになっており、これらが広義のファンダメンタリストとして一括りされることもあるが、今日一般には、ファンダメンタリストは北米の福音派の中でも特に強硬派を指していう[3]。