原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)は、広島県広島市の広島平和記念公園内に設置されている慰霊碑。公式名称は広島平和都市記念碑。 慰霊碑は1949年(昭和24年)のGHQ占領下に成立した「広島平和記念都市建設法」の精神に則り、建立が計画された。 慰霊碑の設計は丹下健三(当時東京大学助教授)が担当。広島平和記念公園の敷地内の、広島平和記念資料館と原爆ドーム(旧:広島県産業奨励館)を結ぶ直線上に設置された。「原爆犠牲者の霊を雨露から守りたい」という趣旨から、屋根の部分がはにわの家型をしている。中央の石室には、国内外を問わず、死亡した原爆被爆者全員の氏名を記帳した名簿が納められている。 慰霊碑のデザインは、丹下健三が推薦した彫刻家イサム・ノグチの案に一旦は内定した。ノグチのデザインは、原爆ドームを望む巨大なアーチ型の碑で、地上部分だけでなく大きな地下空間をも擁するものであった[1]。しかし、丹下の恩師でもある岸田日出刀らが、日系アメリカ人というノグチの出自を理由に難色を示す意見を強硬に主張したため、ノグチ案を生かした形で丹下が再デザインすることになった。建設当時の屋根はコンクリート製であったが、老朽化のため1985年(昭和60年)に一時撤去ののち[注 1]現在の御影石製に改築されている。 当時の広島市長浜井信三は、米国アーリントン国立墓地の無名戦士の墓の慰霊碑に感動し、「広島の慰霊碑にもぜひ碑文を刻みたい」と思ったが、この碑に盛り込もうとしたのは「誓い」と「祈り」であった。 石碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」は、広島大学教授の雑賀忠義 原爆死没者慰霊碑に納められている「原爆死没者名簿」は、関係者の申請により毎年加筆されている。記載数は32万4129人(2020年8月6日現在)[2]は、広島市により確認された「死没者総数」である。新規登録者数の推移を見ると、存命する被爆者がますます減少し、少なくなりつつあることがわかる[注 2]。
歴史
原爆死没者名簿
略歴除幕式。完成直後。奥側が工事中の平和資料館。G7広島外相会合での献花。ジョン・ケリー米国務長官(当時)はアメリカ政府現役閣僚として初の訪問となった。バラク・オバマの広島訪問。G7広島サミットでの献花。
1949年(昭和24年)、 GHQによる被占領下で、広島平和記念都市建設法公布。
1952年(昭和27年)7月22日、慰霊碑碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」の決定。
1952年(昭和27年)8月6日、原爆死没者慰霊碑の除幕式。当初はコンクリート製であった[3]。
1970年(昭和45年)、被爆死した捕虜米兵であるロンサム・レディ号射撃手ジョン・ロング伍長と、白系ロシア人ポール・ボルゼンスキーの、2人の氏名が原爆死没者名簿に登載される[4]。
1971年(昭和46年)4月16日、昭和天皇と香淳皇后が広島県広島市を行幸啓(訪問)する際、初めて参拝する。
1971年(昭和46年)8月6日、佐藤栄作が歴代の内閣総理大臣で初めて平和式典に出席する。
1985年(昭和60年)、現在の御影石製に改築する[3]。