原油価格
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原油価格(げんゆかかく)とは、原油を取引する際の価格のことである。1987年5月からのイギリス・北海ブレント原油スポット価格の推移(ドル建て)。青線は実際の価格、赤線は2011年11月を基準とした物価 (CPI-U) を考慮した実効価格である。

各産油国に複数の価格指標がある。2000年代終盤において、原油の国際価格動向に大きな影響を持っているのは、アメリカ合衆国ウェスト・テキサス・インターミディエイト (West Texas Intermediate, WTI) の先物取引価格であるが、2010年代初頭にはイギリスのブレント原油 (Brent Crude) の先物価格が比重を増してきている。

国際取引での単位は1バレル[注 1]あたりのアメリカ合衆国ドル ($/bbl) で表記される[2]。日本国内向けでの単位は1キロリットルあたりの日本円(円/kl)で表記される。
概要

原油価格には、先物価格と現物の取引におけるスポットがあり、「ニューヨーク原油先物」「ブレント原油先物」「ドバイ原油オマーン原油のスポット価格」が三大指標となっている。国際的な原油価格の指標となるのはブレント原油価格、アメリカの指標とされるのはニューヨーク原油、アジアの指標となるのはドバイ原油価格との位置づけである(2014年現在の三大指標)。なお、スポット価格とは契約の度に当事者間で決定される価格で実勢価格に近い。日本への輸入は8割が期間を定めて契約するターム契約であるが、現在ではターム契約の価格もスポット価格に連動するように設定されている。

原油は天然資源であるので、その質により価格は異なる。ガソリン灯油が多く含まれる軽質油で、硫黄分が少ないWTIは高値で取引され、重質で硫黄が多いドバイ原油はWTIより若干安くなる傾向がある[3]。日本国内における原油価格は、為替レートや、タンカーによる輸送コストの影響も受ける。原油の国際価格はFOB(本船甲板渡し条件=タンカーへの積込時)の価格を指すが、日本国内での原油価格は運賃保険を含んだCIF(運賃・保険料込み条件)で表記される。

原油価格は市場経済により、需要と供給のバランスで決まり、需要面では世界経済の景気動向やガソリン・合成樹脂など様々な石油製品・石油化学製品の需要動向が影響し、供給面では産油国での供給動向(戦争・内戦による減産、タンカー襲撃、新しい油田の開発による増産)が影響する。また、投機資金によっても上下する。急激な原油価格の高騰に伴う、消費国での経済混乱はオイルショックと呼ばれるが、一方、産油国では原油価格の上昇により経済が好調となる。
歴史

1850年ごろ - : 石油の時代。石油の需要が高まり油田の開発が盛んになると、開発から販売までを行う国際石油資本(石油メジャー)の力が大きくなり、国際石油資本が原油価格を支配した。価格表示の通貨はアメリカ合衆国ドル表記となる。

1960年 - : 石油輸出国機構 (OPEC) の時代。中東の産油国によりOPECが結成されると、OPECが産油量と原油価格を設定するようになり、OPECが公示するアラビアンライト(Arabian Light)原油の公示価格が基準となった。

1973年 : 第一次オイルショック第四次中東戦争により原油価格は、1バレル約2 - 3ドルから10 - 12ドルに上昇した。

1979年 : 第二次オイルショック。この年のイラン革命、1980年のイラン・イラク戦争タンカー戦争)を機に価格が30 - 40ドルまで上昇した。

1980年ごろ - : 市場の時代。OPEC以外での原油生産が増えたことや、欧米に原油市場が誕生したことにより、原油価格は市場により決定されるようになった。OPECの価格は市場価格から乖離した高値となり、OPECは公式販売価格の設定を放棄し、原油価格は1バレル約20ドルに下落した。

1983年 : WTI先物がNYMEXに上場された。同時期にブレント原油先物がIPEに上場された。

1986年サウジアラビアがアラビアンライト原油の価格公示を廃止した。中東原油の基準油種はスポット価格を反映するドバイ原油・オマーン原油に移り、ニューヨーク原油 (WTI)、ブレント原油とともに、現在も国際原油市場の指標となっている。ただし、ドバイ原油の産出量は減少し、主にオマーン原油が指標となっている[4]

1999年アジア通貨危機の影響などで、原油価格は1バレル9ドル台まで下落した。

2003年 - 2014年イラク戦争を機に原油価格は上昇した。中東情勢やテキサス州ハリケーン被害などによる供給不安、中華人民共和国などの需要増大、サブプライムローン問題(サブプライム住宅ローン危機リーマン・ショックなど)後の投機資金の流入などの影響と見られる暴騰が起こり、2008年7月には、1バレル147.27ドルまで上昇した[5]。しかし2008年12月には、サブプライムローン金融危機による需要の低迷から、原油価格は1バレル30ドル台前半まで急落した。2010年4月、原油価格は1バレル85ドル付近まで再上昇している。2011年からは軒並み1バレル100ドルを超えるようになり、一時は1バレル110ドルを超えていた時期もあった。

2015年 - :中華人民共和国や新興国の景気減速、連邦公開市場委員会アメリカ合衆国ドルゼロ金利政策解除、原油国イランへの経済制裁解除によって、原油価格が急落し、燃油サーチャージを廃止する航空会社が出現した。

2020年3月 : 新型コロナウイルス感染症の流行が各国に拡大し、世界各国の経済活動、人的移動が極端に減退、減少した。このため原油価格の暴落が生じ、WTI原油先物価格は同年1月の50ドル近辺から同年3月には20ドル近辺へと下落した。特に3月中旬の10日間の下落率は50%を超えた[6]
2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響」も参照

2020年4月20日 : WTI原油先物価格は、受け渡し場所の貯蔵施設が同年5月に満杯になるとの観測を受けて暴落。WTI史上初のマイナスを記録した。この日の清算値は1バレルマイナス37.63ドルとなった[7]。ただし、このマイナス価格はアメリカ国内の事情によるもので、当日の北海ブレント先物は25ドル台、ドバイ先物は18ドル台後半となっている[8][9]

原油を上場している先物市場
一覧

アメリカ合衆国 -
ニューヨーク・マーカンタイル取引所 (NYMEX):WTIを標準とする。2001年ブレント原油先物を上場

イギリス - ICEフューチャーズ(旧ロンドン国際石油取引所):北海原油(ブレント原油)を標準とする。2006年にWTIを上場。2007年にドバイ原油を上場。

日本 - 東京商品取引所 (TOCOM):ドバイ原油およびオマーン原油の平均価格を指標とする中東産原油を対象とする現金決済先物取引(2015年5月限まで適用)。ドバイ原油の(平均)価格を指標とする中東産原油を対象とする現金決済先物取引(2015年6月限から適用・通称 ドバイ原油)。

シンガポール - シンガポール取引所(SGX):2002年からTOCOMと同じく中東産原油を上場。

アラブ首長国連邦 - ドバイ金融商品取引所(DGCX):2005年に開設。2008年5月27日からWTI、ブレント原油の扱いも開始。

アラブ首長国連邦 - ドバイ・マーカンタイル取引所(DME): オマーン産重質油の先物を扱う。2008年6月2日からブレント原油の扱いも開始。

ニューヨーク・マーカンタイル取引所

ニューヨークのWTI先物価格は他の先物市場やスポット価格にも大きな影響を与えている。
ICEフューチャーズ

ブレント原油を扱うICEフューチャーズも、WTIの取り扱いも開始し、また中東産油国との時差が小さく取引の電子化が進み時間外取引ができるなどの利点もありニューヨーク・マーカンタイル取引所 (NYMEX) の原油取引額を追い越しつつある。
東京商品取引所

東京商品取引所では最終決済価格(納会値段)算出時の基準は正としてプラッツ社(Platts)(副としてトムソン・ロイター・ジャパン〈Thomson Reuters〉)が発表している中東のドバイ原油・オマーン原油(2015年5月限まで適用、2015年6月限からドバイ原油)のスポット価格を基準として原油価格を決めている[10]

ドバイ原油・オマーン原油のスポット価格はプラッツ社が発表しているが、同社は東京工業品取引所での先物価格を参考にしているので、プラッツ社がアセスメントを行う際に参考とするスワップOTC市場において、東京商品取引所の先物価格をスワップの対象とする取引が増えてきていることから、アジア向け中東産原油の価格形成における東商取原油先物価格の影響力は益々高まってきているため、東京での価格がアジアにおける中東産原油価格を決定しているといえる。
2000年代の原油価格高騰の影響

2000年代、特に2004年から2008年にかけて、原油価格が大幅に高騰した。その影響で、工業・運輸・農林水産業など幅広い分野でコスト上昇を起こし、経済・家計に大きな打撃を与えた。

また石油のみでなく、石炭天然ガスの価格も原油価格高騰の影響を受けて上昇した。一方で、原油価格高騰は省エネルギーや脱石油の取り組みを促すなどごく一部ではあるが良い面も見られた。

1970年代のオイルショックの影響については、オイルショックの項目を参照。二度のオイルショックにより日本の主要企業は徐々に石油への依存度を軽減していたが、2000年代の原油価格高騰では特に脱石油が進んでおらず石油依存度が高かった運輸業農業水産業に深刻な打撃を与えた。

また、当時は穀物価格や金属価格などの高騰も同時に進行していたため、影響はより深刻化していた。2009年6月現在はリーマン・ショック以降の大幅な原油価格下落により問題はほぼ鎮静化したが、年初に比べると若干値を上げている。
ガソリン価格への影響

2000年代の原油高騰では、日本ではガソリン価格の高騰は象徴的に報道された。ガソリンスタンドの廃業やセルフ式ガソリンスタンドへの移行などの影響を与え、2008年(平成20年)の道路特定財源制度の存廃を争うガソリン国会も見られた。

また、ガソリンスタンドでは誤給油が増加したり、値上げ前日に行列ができるなどの社会現象が見られた。また、移動の殆どを自動車に依存する田舎では、家計に大きな影響が出た。

過去のオイルショックでは、日本において乗用車保有台数の伸びに鈍化が見られ[11]、ガソリン消費に若干の減少があったが、基本的に拡大基調は続いた。今回の高騰では、若者の車離れ、燃費の良い軽自動車ハイブリッド車への切り替え増加が報じられている。
灯油価格への影響

家庭用の灯油や農業・漁業用のA重油には、公道用の自動車燃料と異なりガソリン税軽油引取税が課されていない。従って、小売価格に占める原油価格の割合が、ガソリン・軽油よりも高く、原油高騰による灯油の価格上昇率は、ガソリン以上に大きくなった。2003年から2008年にかけての価格上昇は、ガソリンは約1.5倍に対し、灯油は約2倍であった。

北海道では、暖房用灯油の消費量が多く、日銀札幌支部の試算では2007年11月 - 2008年3月の灯油費用が4割上昇した[12]
電気料金への影響

日本の発電における石油依存はオイルショックによって減少し、2005年の集計では1割程度である[13]。しかし、価格が上昇傾向にある石炭、天然ガスを含めると、火力発電は電力の60%を占める。化石燃料の価格も上昇傾向にある。火力発電における燃料のコストは、燃料費調整制度により電気料金に反映され、原油高騰により上昇傾向に転じた。

日本の電気料金は円高による原油輸入価格の低下や、工業用電力自由化などもあって、1986年以降減少傾向にあった[14]。しかし、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故柏崎刈羽原子力発電所の停止の影響で、火力発電への依存度が高まった東京電力では[15]、原油高によるコスト高が燃料費調整制度の上限を超える見通しとなり、調整制度とは別に「本格改定」による大幅値上げを行った[16]
運輸業への影響

燃料の高騰は、石油依存度が高い運輸業のコストを増大させた。燃料の高騰分を運賃に上乗せする燃油サーチャージを航空・海運各社が導入し、日本の陸運業でも2008年から導入が始まっている。中小企業が多いトラック業界では価格転嫁が進まず、2007年度の倒産企業数は前年度に比べ3割増加した[17]

交通機関でも、原油高を主な理由にタクシー料金の値上げが行われている。また、バス料金にも値上げの動きが見られる。
漁業への影響

漁業では経費に占める燃料費の割合が高く、魚価は主にセリによって決まるため燃料代の転嫁は行いにくい。燃料代の上昇は漁業所得に影響する。2000年代の原油高騰ではマグロ漁船などの一部休業が相次ぎ、2008年6月18、19日には日本で小型イカ釣り漁船の一斉休業も行われた。
外食産業への影響


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