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原 律子
生誕 (1962-10-17) 1962年10月17日(61歳)
東京都
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1983年(昭和58年) -
ジャンル漫画
代表作『改訂版大日本帝國萬画』
『奉仕ノ白薔薇』
『電動バナナ倶楽部』
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原 律子(はら りつこ、1962年10月17日[1] - )は、日本の漫画家。東京都出身。 1962年(昭和37年)、東京都に生まれる。漫画家・御厨さと美、いしかわじゅんのアシスタントを経て自身も漫画家としてデビューした。 ただし、御厨のアシスタントは、いわゆるメシスタントと言われる、食事や身の回りの雑用の担当で、漫画制作に携わっていた訳ではなかった。後年いしかわじゅんがアシスタントとして雇用した際に、当然高度な作画が出来るものとして雇った後に事実が判明し愕然としたという。実質的に漫画の制作に関わるのは、いしかわじゅんのアシスタントになって以降である[2]。 デビュー作は、1983年(昭和58年)の漫画『私達はこんなに働いてゐる』。1980年代を中心に活躍し、雑誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)におけるジャーナリスト・筑紫哲也の連載「新人類の旗手たち」に取り上げられたこともあった[3]。 離婚歴がある。別れた夫は、いしかわじゅんの紹介で付き合うことになった、漫画家のマディ上原。以上の経緯については、いしかわじゅんの漫画やエッセイ(『フロムK』など)に詳しい。 マディとの間には一女があり、2009年マディが死去した際には娘が喪主を務めた[4]。
経歴
著作
『改訂版大日本帝國萬画』(双葉社)
『ヲホホの園』(双葉社)
『電動バナナ倶楽部』(スコラ)
『奉仕ノ白薔薇』(マガジンハウス)
『考へる人生』(双葉社)
『環境でぷん! -地球は困ったことだらけ-』(共著、ほんの木)
『元氣があってよろしいっ!』(小学館)
脚注[脚注の使い方]
出典^ 『漫画家人名事典』p305 日外アソシエーツ
^ いしかわじゅん (2022年12月16日). “スタジオハードの高橋くんのポストで、御厨さと美さんの訃報を知った。作品としては、「ケンタウロスの伝説」や「裂けた旅券」が印象に残っているが、実はほかにも、彼とはつながりがあるのだ。
^ 『新人類図鑑1』(朝日新聞社、1986年)
^ (手塚) (2009年12月24日). “ ⇒マディ?クリスマス!! マディ上原さん、最後の宴!”. 青林工藝舎編集部だより. 青林工藝舎. 2021年1月11日閲覧。
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