この項目では、中国の歴史的地名で、現在の固原市あるいは鎮原県に置かれた原州について説明しています。原州のその他の用法については「原州 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
中国地名の変遷
建置北魏
使用状況1270年に改編
南北朝高平鎮
原州
隋原州
平涼郡
唐原州
平涼郡
原州
北宋/遼原州
南宋/金原州
元鎮原州
原州(げんしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代からモンゴル帝国時代にかけて、現在の寧夏回族自治区固原市あるいは甘粛省鎮原県一帯に設置された。
魏晋南北朝時代・長城郡の2郡4県を管轄した[1]。
南北朝時代の行政区画変遷
北朝
王朝北魏
州原州
郡高平郡長城郡
県高平県
里亭県黄石県
白池県
西魏のとき、高平郡は平高郡と改められた。 隋初には、原州は2郡5県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、原州の属郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、原州は平涼郡と改称され、下部に5県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 隋代の行政区画変遷 北宋のとき、原州は秦鳳路
隋代
区分開皇元年区分大業3年
州原州郡平涼郡
郡平高郡
百泉県
平涼県
会寧県
黙亭県
県平高県
黙亭県
烏蘭県長城県
平涼県
唐代を平定すると、平涼郡は原州と改められた。742年(天宝元年)、原州は平涼郡と改称された。758年(乾元元年)、平涼郡は原州の称にもどされた。原州は関内道に属し、平高・平涼・百泉・蕭関の4県を管轄した[3]。808年(元和3年)、吐蕃の侵攻を受けて平高・蕭関の2県を失陥したことから、原州の州治は臨県に移された[4]。
宋代
金のとき、原州は慶原路に属し、臨・彭陽の2県と柳泉・新城・蕭関の3鎮と綏寧・平安・靖安・開辺・西壕の5寨を管轄した[6]。
元代と統合されて鎮原州が成立した[7]。
脚注^ 『魏書』地形志二下
^ 『隋書』地理志上
^ 『旧唐書』地理志一
^ 『新唐書』地理志一
^ 『宋史』地理志三
^ 『金史』地理志下
^ 『元史』地理志三
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