日本の政治家原島 宏治はらしま こうじ
『公明』1964年12月号より
生年月日1909年12月4日
出生地東京都西多摩郡奥多摩町
没年月日 (1964-12-09) 1964年12月9日(55歳没)
出身校東京府立青山師範学校
(現:東京学芸大学)
所属政党(無所属→)
(公明政治連盟→)
公明党
初代公明党中央執行委員長
在任期間1964年11月17日 - 1964年12月9日
創価学会第3代理事長
在任期間1960年5月3日 - 1964年12月9日
会長池田大作
参議院議員
選挙区全国区
当選回数1回
在任期間1959年6月2日 - 1964年12月9日
大田区議会議員
当選回数1回
在任期間1955年4月 - 1956年6月
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原島 宏治(はらしま こうじ、1909年〈明治42年〉12月4日 - 1964年〈昭和39年〉12月9日)は、日本の政治家、宗教家。
東京都大田区議会議員(1期)、参議院議員(1期)、創価学会理事長(第3代)、公明党中央執行委員会委員長(初代)などを歴任した。
経歴1964年11月17日、公明党の結成大会が開かれた。党中央執行委員長として鬨の声を上げる原島。
東京都西多摩郡奥多摩町生まれ[1]。1929年(昭和4年)、東京府青山師範学校を卒業。
1940年(昭和15年)、創価教育学会(現:創価学会)に入会する。
1955年(昭和30年)、大田区議会議員選挙に立候補し、当選。
1956年(昭和31年)7月8日、第4回参議院議員通常選挙に立候補し、落選。
1959年(昭和34年)6月2日、第5回参議院議員通常選挙に立候補し、初当選。
1960年(昭和35年)5月3日、池田大作が創価学会第3代会長に就任。それと同時に原島は、小泉隆の後任として創価学会理事長(第3代)に就任。
1961年(昭和36年)、参議院議員と東京都議会議員が中心となり、公明政治連盟が結成され、公明政治連盟中央執行委員長に就任する。
1962年(昭和37年)7月1日、公明政治連盟幹事長に就任する。
1964年(昭和39年)11月17日、公明党の結成に参加し、公明党委員長(初代)に就任した。同年12月9日、自宅で急性心筋梗塞を起こして倒れ死去。55歳没。
人物・エピソード
1943年(昭和18年)、当時の創価教育学会幹部が投獄された際、原島のところにも刑事が来たが、その刑事を折伏したと言われている[2]。
池田大作の創価学会第3代会長就任を強力に後押しした[2]。
亡くなる1週間前、長男の原島嵩に対して「私は名誉もいらない。地位もいらない。ただ、願っていることはただ1つ、立派な日蓮正宗の1信徒でありたい」との言葉を残している[2]。
長男は元創価学会教学部長の原島嵩。嵩は後に名誉会長池田大作の指導方針への批判を強め、創価学会を脱会した。
役職歴
公明党
中央執行委員長(初代)
公明政治連盟
中央執行委員長(初代)
公明会(参議院会派)
幹事長
脚注^ “原島 宏治(ハラシマ コウジ)とは