原宿
町丁
国立病院機構横浜医療センター
原宿原宿の位置横浜市の地図を表示原宿原宿の位置神奈川県の地図を表示
北緯35度22分40.21秒 東経139度30分18.76秒 / 北緯35.3778361度 東経139.5052111度 / 35.3778361; 139.5052111
国 日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
区戸塚区
面積[1]
? 合計1.372km2
人口(2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
? 合計12,232人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号245-0063[3]
市外局番045 (横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
原宿(はらじゅく)とは、神奈川県横浜市戸塚区の地名。現行行政地名は原宿一丁目から原宿五丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号245-0063[3]。目次 戸塚区南西部に位置する。北で深谷町、北東で戸塚町、東で栄区金井町、南で小雀町、西で東俣野町、北西で俣野町と隣接する。 古くは相模国鎌倉郡原宿村であり、東海道(現国道1号)が通過する。原宿は戸塚宿と藤沢宿の中間の高台に設けられた間の宿であり、「原宿」の名もこれに由来する。1889年の町村制施行により深谷村・汲沢村と合併して富士見村が発足。1915年には富士見村が俣野村・長尾村の旧小雀村域と合併して大正村が発足し、1939年に大正村が横浜市に編入された。旧大正村の村域であった、東俣野や小雀、深谷などとともに大正地区と呼ばれ、原宿はその中心に位置する。 2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 丁目世帯数人口 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。 丁目番地小学校中学校
1 地理
2 歴史
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 施設
6 原宿交差点
6.1 交差点立体化
7 関連項目
8 脚注
9 外部リンク
地理
歴史
世帯数と人口
原宿一丁目866世帯2,060人
原宿二丁目681世帯1,344人
原宿三丁目1,508世帯3,294人
原宿四丁目1,637世帯3,255人
原宿五丁目1,159世帯2,279人
計5,851世帯12,232人
小・中学校の学区
原宿一丁目全域横浜市立小雀小学校
原宿二丁目29?51番
52番16?20号
53番1?21号
54番1?8号
その他横浜市立大正中学校
原宿三丁目全域横浜市立大正小学校
原宿四丁目全域
原宿五丁目全域横浜市立小雀小学校
施設
横浜医療センター
都市再生機構大正団地
県営原宿団地
横浜市立大正小学校
横浜市立大正中学校
戸塚区役所大正職員派出所
原宿交差点 原宿交差点(2009年)
国道1号と環状4号(神奈川県道23号原宿六ツ浦線)の交差点。横浜市の中心部からは離れているが、交通の要衝として、また渋滞スポットとして知名度が高かった。
東海道を含め古くからの街道筋が集まる要衝といえる場所であるため、自動車社会の到来と共に渋滞が慢性化した。神奈川県内の渋滞ワースト1にランクされていた。
1960年代から慢性化した渋滞は、国道1号の利用者のみならず、国道西側地域の住民に大きな犠牲を強いた。こうした傾向は、交差点付近に開業した横浜ドリームランドの存在が拍車を掛けた。
当初、ドリームランド側は、モノレール(ドリーム開発ドリームランド線)による人員輸送を打ち出したが、諸事情により早々に営業を休止。バス輸送に転換したため、渋滞は休日にまで生じるようになった。また、敷地の一部に団地群(ドリームハイツ)を造成されたため地域の人口が激増。交差点付近の渋滞は、時間帯も問わず慢性化した。
1980年代にはドリームランド周辺と大船駅を結ぶバスが、交差点の手前で1時間以上も足止めされることも珍しくない状況であった。
2000年を過ぎてからはドリームランドが廃園になったものの、跡地に横浜薬科大学が設立されたため、渋滞解消が急務となっていた。
建設省(当時)は、国道1号を820mにわたり拡幅し、その中央部をトンネル化する計画を立案。1987年に事業着手したものの、折からのバブル景気により地価が高騰。用地買収は難航した。
一方で、1990年代には環状4号線側も含めた部分的な拡幅工事が進み、徐々にではあるが渋滞はやや緩和方向に向かった[要出典]。
交差点立体化 原宿トンネル(2011年3月27日)
2006年 : 国道1号の一部車線を地下化するための工事に着手。この立体交差は、一般的な交差点のアンダーパスとは異なる、シールドマシンによる掘削するトンネルであり、また、一般的なシールドトンネルとも異なるハーモニカの穴のようにトンネルを掘るハーモニカ工法[6]を採用している。