原子爆弾(げんしばくだん、英: atomic bomb)あるいは原爆は、ウランやプルトニウムなどの元素の原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾であり、初めて戦争において攻撃用に実使用された核兵器である。原子爆弾は、核爆発装置に含まれる[1][2]。水素爆弾を含めて「原水爆」とも呼ばれる。核兵器は通常兵器と比較して威力が極めて大きいため、大量破壊兵器に位置付けられ、核不拡散条約や部分的核実験禁止条約などで、実戦での使用が禁止されている。 第二次世界大戦下においてドイツ、日本、アメリカ合衆国、イギリスなどで開発が行われた。1945年にアメリカによって初めての核実験が行われて以降、冷戦期にアメリカ・ソ連・フランスを中心に約2,000回核実験が行われた。 アメリカによる日本への2発の原爆使用後、第二次世界大戦後の東西冷戦の激化とともに、アメリカ合衆国やソビエト連邦を中心に破壊力の大きな戦略兵器として原子爆弾の改良が進められた。核出力を100キロトン以上に強大化した大型原爆や、熱核反応
原子爆弾の開発「核実験の一覧」も参照トリニティ実験での核爆発 (1945)Upshot?Knothole Grable test (ビデオ)(1953年5月25日)
原子爆弾はドイツから亡命したユダヤ人やイタリア人によって開発が進んだアメリカ合衆国が最初に成功した。開発は1942年からマンハッタン計画で進められ、1945年7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた。
ソビエト連邦の原子爆弾開発は、1943年にソビエト連邦共産党書記長であるスターリンが原子力プログラムの開始を命じ、核物理学者イーゴリ・クルチャトフがプロジェクトの責任者となって、スパイにより盗まれたアメリカの情報(ヴェノナ文書も参照)を中心に開発が進められた。1949年8月29日、カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場において最初の核実験(プルトニウム型原爆RDS-1)が成功した。
イギリスは、1952年10月3日にモンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁で最初の核実験(ハリケーン作戦)を行った。使用された原子爆弾は、長崎に落とされたファットマンの改良型である。セラフィールドで生産したプルトニウムが足りなかったので、カナダから供給されたプルトニウムで補ったとされる。
フランスも第二次世界大戦勃発直後から核兵器開発を始めたが、ドイツ軍のフランス侵攻によりフランス本土はドイツの占領下におかれ、研究者達は亡命し計画は停滞した。戦後、亡命した科学者たちが帰国すると次世代エネルギーの開発という名目で、1948年から重水炉が稼動して原子力開発が始まった。その後、紆余曲折を経て1956年に原子爆弾実験と核融合研究の実施を決定した。
1959年には発電用原子炉で、年間40kgのプルトニウムを生産する能力を持つようになり、1960年2月13日にアルジェリア領のサハラ砂漠で核実験を成功させて、4番目の核保有国になった。