原子爆弾
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1945年8月9日1945年8月6日に投下された広島型原爆(リトルボーイ)による被害者の一人。(1945年10月。日本赤十字病院において。)

原子爆弾(げんしばくだん、: atomic bomb)あるいは原爆は、ウランプルトニウムなどの元素原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾であり、初めて戦争において攻撃用に実使用された核兵器である。原子爆弾は、核爆発装置に含まれる[1][2]水素爆弾を含めて「原水爆」とも呼ばれる。核兵器は通常兵器と比較して威力が極めて大きいため、大量破壊兵器に位置付けられ、核不拡散条約部分的核実験禁止条約などで、実戦での使用が禁止されている。
原子爆弾の開発「核実験の一覧」も参照トリニティ実験での核爆発 (1945)Upshot?Knothole Grable test (ビデオ)(1953年5月25日)

第二次世界大戦下においてドイツ日本アメリカ合衆国イギリスなどで開発が行われた。1945年にアメリカによって初めての核実験が行われて以降、冷戦期にアメリカソ連フランスを中心に約2,000回核実験が行われた。

アメリカによる日本への2発の原爆使用後、第二次世界大戦後の東西冷戦の激化とともに、アメリカ合衆国ソビエト連邦を中心に破壊力の大きな戦略兵器として原子爆弾の改良が進められた。核出力を100キロトン以上に強大化した大型原爆や、熱核反応も加えて300キロトン程度に増強した強化原爆が開発された。また戦略用だけでなく戦術用での使用を企図して小型化も進められ、当初は4-5トンほどの重量だった原子爆弾を、大砲より発射できる核砲弾[注 1]や核無反動砲[注 2]用に小型化したが、これらの戦術用原子爆弾が実戦で使用された事はない。

原子爆弾はドイツから亡命したユダヤ人イタリア人によって開発が進んだアメリカ合衆国が最初に成功した。開発は1942年からマンハッタン計画で進められ、1945年7月16日ニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた。

ソビエト連邦の原子爆弾開発は、1943年にソビエト連邦共産党書記長であるスターリンが原子力プログラムの開始を命じ、核物理学者イーゴリ・クルチャトフがプロジェクトの責任者となって、スパイにより盗まれたアメリカの情報(ヴェノナ文書も参照)を中心に開発が進められた。1949年8月29日カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場において最初の核実験(プルトニウム型原爆RDS-1)が成功した。

イギリスは、1952年10月3日モンテベロ諸島西オーストラリアの間の珊瑚礁で最初の核実験(ハリケーン作戦)を行った。使用された原子爆弾は、長崎に落とされたファットマンの改良型である。セラフィールドで生産したプルトニウムが足りなかったので、カナダから供給されたプルトニウムで補ったとされる。

フランス第二次世界大戦勃発直後から核兵器開発を始めたが、ドイツ軍のフランス侵攻によりフランス本土はドイツの占領下におかれ、研究者達は亡命し計画は停滞した。戦後、亡命した科学者たちが帰国すると次世代エネルギーの開発という名目で、1948年から重水炉が稼動して原子力開発が始まった。その後、紆余曲折を経て1956年に原子爆弾実験と核融合研究の実施を決定した。

1959年には発電用原子炉で、年間40kgのプルトニウムを生産する能力を持つようになり、1960年2月13日アルジェリア領のサハラ砂漠で核実験を成功させて、4番目の核保有国になった。フランスは1960年から1996年までの間に核実験をサハラ砂漠で17回実施、仏領ポリネシアで193回実施した(フランスの核兵器に関する詳細は「フランスの核兵器」を参照)。

中華人民共和国は、1960年代当初から第9学会と呼ばれる研究都市を海北チベット族自治州に設けて、核開発を推進してきた。1964年10月16日に初の原子爆弾実験に成功し、1967年6月17日に初の水素爆弾実験に成功した。

インド1974年5月18日に初の核実験を行なっている。パキスタン1998年5月28日に初の核実験を行なっている。北朝鮮2006年10月9日に初の核実験を行なっている。
原子爆弾の理論と構造
核分裂に関する理論
エネルギー

原子爆弾のエネルギーは、原子核分裂反応するときに放出するエネルギーであり、原子核を構成する陽子中性子間の核エネルギーとして取り出すものである。通常兵器TNT火薬などの化学反応によって原子結合エネルギー(原子を構成する電子軌道位置エネルギー)を取り出すのとは原理的に異なる。

そのエネルギーの大きさは、通常は同量のエネルギーを生みだすTNT火薬の重量に換算(TNT換算)して評価する。しかし、これで評価できるのは爆発時の破壊力だけであり、核兵器の使用に伴う放射線障害放射性物質による汚染は考慮されていない。
核分裂

核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こることがある。このような反応を核分裂の「連鎖反応」と呼ぶ。核分裂性物質の量が少ない場合には連鎖反応は短時間で終息するが、ある一定の量を超えると中性子の吸収数と放出数が釣り合って連鎖反応が持続することになる。この状態を「臨界状態(あるいは単に臨界)」といい、臨界状態となる核分裂性物質の量を臨界量と呼ぶ。


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