この項目では、アルバムについて説明しています。本アルバムのタイトル曲については「原子心母 (曲)」をご覧ください。
『原子心母』
ピンク・フロイド の スタジオ・アルバム
リリース1970年10月5日
ジャンルプログレッシブ・ロック
時間52:44
レーベルハーヴェスト
EMI(再発盤)
ハーヴェスト/キャピトル
キャピトル(再発盤)
プロデュースピンク・フロイド&アラン・パーソンズ
専門評論家によるレビュー
Allmusic link
ウマグマ
(1969年)原子心母
(1970年)ピンク・フロイドの道
(1971年)
テンプレートを表示
『原子心母』(げんししんぼ、英語: Atom Heart Mother)は、1970年に発表されたピンク・フロイドのスタジオ・アルバム。ヒプノシスによる牛のジャケットも有名。 ピンク・フロイドの本作は全英初登場1位[1]、全米55位を記録するなど各国でヒットした。それまでの彼らのアルバムは、どちらかと言うとアンダーグラウンドで難解な実験音楽的要素が強かったが本作では分かり易く聴きやすい内容になっている。このことがシド・バレット脱退後のバンドに初めて商業的、音楽的成功をもたらすことになる。 ただしロジャーは後にこのアルバムを「フロイドの中で嫌いなアルバムの一つ」と述べている。制作にはメンバー4人だけでなく、オーケストラアレンジとしてロン・ギーシン(イギリスの前衛音楽家)が加わっていたが、「ロン・ギーシンとやったものは全て平凡で駄作。後の作品のステップでしかない」とも述べている[2][要ページ番号]。 表題曲「原子心母」はアナログA面を覆い尽くす23分を超える大作で、チェロやブラス・バンド、コーラス隊などを大胆に使った作品である。原題の「Atom Heart Mother」とは、1970年7月16日の「BBCインコンサート」にピンク・フロイドが出演する際、それまで楽曲名が正式に決まっていなかったこの曲を、司会を担当したDJのジョン・ピールから「お客さんに紹介するためにタイトルが必要だ」と言われ、当日たまたまロン・ギーシンが持っていたイギリスの新聞「イヴニング・スタンダード」紙に掲載された「当時56歳の未亡人が原子力電池で駆動するペースメーカーの埋め込みに成功したと」いう記事の見出し「Atom heart mother named」がメンバーの目に留まり、その場で命名された。 アナログB面は、バンドの個人による書き下ろし曲と、メンバー全員の共作による曲が収録されている。ロジャー・ウォーターズ作「もしも」は、後の傑作『狂気』のコンセプトの原形と言える。ただし、この曲自体は繊細かつ内向的で、後の作品のような攻撃性、社会性、大仰さは見られない。「デブでよろよろの太陽」はデヴィッド・ギルモアによる作品で、ライブレパートリーになった曲である。「サマー'68」はリチャード・ライト作であり、3人による曲の中で一番ポップである。最終トラックの「アランのサイケデリック・ブレックファスト」はバンド全員による共作で、ミュージック・コンクレート作品。1970年12月、ライヴでも1度だけ演奏された。なお、題名に入っているアランとは、当時バンドのロード・マネージャーだったアラン・スタイルスの事で、メニューの声もスタイルスによる(スタイルスは『ウマグマ』の裏ジャケットに映っている人物のどちらか)[3][要ページ番号]。 『キャッシュボックス』誌は、「アトム・ハート・マザー」はロックミュージックにとってビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』やクリームの『ホイールス・オブ・ファイアー』と同じくらい重要である。このアルバムは今年のトップ・アルバムの一枚である。」と絶賛した[4]。
概要
邦題「原子心母」について