原古典期
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原古典期(Protoclassic period[stage,era])とは、メソアメリカ考古学編年で、先古典期後期から古典期前期の間に想定された時期区分の名称である。一般的には紀元前100年ないし同50年から紀元250年ないし同300年くらいの時期に位置づけられてきたが、最近では、後述するように概念の見直しを行い紀元1世紀から5世紀の初頭に位置づけるべきだという意見[1]が出てきており、用いることを意識的に避ける研究者も多い。イサパ石碑2号エル・バウル石碑1号。原古典期のイメージとしてグアテマラ高地やモンテ・アルバンII期の石碑が想定されている。

原古典期の概念は、1960年代まで漠然と紀元前300年前後のテオティワカンII期[2]モンテ・アルバンII期に並行し、文字が作られ、イサパ文化などにみられる石彫が造られた時期といったあいまいな使われた方をされてきたが[3]、最も普遍的な定義はゴードン・ランドルフ・ウィリーが1977年[4]に示したフローラル・パーク(Floral Park)ないし土器複合(ceramic complex)、あるいは、ホルムルI式(Holmul I style)及びそれに似た土器、具体的には、タイプ・ヴァラエティ分類法によるアギラ・オレンジ、アグアカテ・オレンジと呼ばれるグループの乳房型四脚土器(mamiform tetrapod)に代表される土器群に特徴づけられる文化的な内容のこと位置づけられた。言い換えれば、紀元前50年から紀元250年くらいの先古典期の終末と古典期の初頭にあたる紀元250年から同300年に当たる明確なかたまりの時期区分としてとらえられてきた。それに次いで標準的と考えられる定義は、先古典期から古典期の発展段階のように示す概念である。マヤの研究者にとって原古典期という概念は文化的に中立的なものではなく、先古典期や後古典期が古典期の前後という編年的な点に重点があるのに対し、原古典期は、古典期の前兆ないし導入的な区分と考えられてきた。単純に紀元前50年から紀元250年を指し示すというのは、最も新しく出された概念で、二番目の定義に関連して、イサパ文化をはじめアバフ・タカリクエル・バウルなどのグアテマラ高地周辺の石碑に代表される文化の時期という用いられ方をされてきた。
フローラル・パーク相の土器の特徴
形状と変遷

原古典期の時期的指標を示す土器は、側面形状がZ字状(Z器壁)で、幾何学文と様式化された多彩色土器のモチーフをもち乳房型の脚を四つ持つのが特徴で、タイプ・ヴァラエティ分類でいえば、アグアカテ・オレンジ、イシュカンリオ・オレンジ多彩色(Ixcanrio Orange Polychrome)、二彩土器であるカヴィラン橙地黒彩(Cavilan Black-on-orange)及びGuacamollo赤地橙彩(Red-on-orange)と呼ばれる一連の土器群である。これらの土器はフローラル・パーク相を代表する土器であり、1961年の段階でウィリーとジェームス・C・ギフォード(James C. Gifford)は同じ土器とみなしてもよいとすら述べていた[5]。こういった土器は、原古典期の土器複合がみられる遺跡から出土する。フローラル・パーク相には、オレンジの多彩色土器がいたるところで検出されるが、より新しい時期には、すべての遺跡で赤い単色土器にとってかわられていく。側面Z状のもののほうがより古く、横に走るすじのあるものとないもの、表面に上塗りがほどこされていないもの、胴部の半分くらいの頸部の壺は先行するチカネル期から原古典期へ続いていく。沈線の施された口縁部をもつ鉢も同様に原古典期まで続く。
研究史

フローラル・パーク相は、もともとホルムル遺跡からの出土品を基準に定義されてきた。つまり、原古典期の指標となるホルムルI式の土器群は、1910年から11年にR.E.MertinとG.C.Valliantによって調査されたホルムル遺跡の建造物Bの第8室(Room8)と第9室(Room9)の出土遺物から定義づけられた。層位的型式的に古いRoom9の遺物をホルムルIAとし、Room8の遺物をホルムルIBとしてきた。バルトン・ラミーの遺物とホルムルI式を比べると、型式的な点だけでなく層位的な位置関係から考えてもホルムルI式が古相と新相の二つに区分できることがおもいおこされると、ウィリーとギフォードは考える。原古典期の土器と編年[6]
1.乳房型四脚土器(Guacamollo赤地橙彩(Red-on-orange))バルトン・ラミー123地区30号墓出土。ホルムルIA並行。
2.乳房型四脚土器(イシュカンリオ・オレンジ多彩色(Ixcanrio Orange Polychrome))バルトン・ラミー123地区31号墓出土。ホルムルIB並行。
3.乳房型四脚土器(イシュカンリオ・オレンジ多彩色(Ixcanrio Orange Polychrome))ナフ・トゥイニチ洞窟出土。
4.胴部鍔付鉢(Basal-flanged Bowl)バルトン・ラミー123地区19号墓出土。[7]

ホルムルIBで確認されるマヤ低地の古典期前期(ツァコル相)的なアクトゥンカン・オレンジ多彩色(Actuncan Orange Polychrome)に属する鍔付鉢は、似たものがバルトン・ラミーの123地区の13号墓と19号墓[7]の出土品にある。バルトン・ラミー出土の破片は、ホルムルIBとは同定できないが直線で囲まれた階段状のモチーフを黒点で囲む文様があり、これは標式遺跡であるワシャクトゥンの古典期前期初頭を示すツァコルI相の指標となる文様である。したがってバルトン・ラミーの123地区の13号墓と19号墓の鍔付鉢は、この二つの墓の編年的な位置づけがツァコルI相とホルムルIBが同時であることを思わせる。

13号墓から出土した乳房型四脚土器は、原古典期的なアグアカテ・オレンジであるがツァコル相の特徴を代表するアクトゥンカン・オレンジと共伴している。このことは、13号墓の土器はホルムルIBにきわめて近いつながりがあると推察させる。一方で19号墓は、そのような四脚土器はなく、アクトゥンカン・オレンジとの良好な資料に、より新しい時期のアグアカテ・オレンジを伴う。これは、ツァコルI相に近いつながりがあると考えることができる。30号墓や31号墓は、いずれにもアクトゥンカン・オレンジや他の胴部鍔付鉢(Basal-flanged Bowl)は、共伴していない。30号墓は小さな乳房型四脚土器が2個体検出されており、一つ目は、アグアカテ・オレンジでありもうひとつはアグアカテ・オレンジにきわめて近いGuacamollo赤地橙彩土器である。そのほかには、通常はみられない巨大な乳房型四脚をもつChiquibal modeledの鉢が出土している。しかもChiquibal modeledの鉢はホルムルIAの鉢と非常によく似ており、30号墓出土の3個体の土器の形状はホルムルI式に重心が置かれた傾向を示し、さらに言えばより古いホルムルIAにより近い特徴をもつので、ツァコルI式の時期までは降らないと考えられた。31号墓から出土した3個体の土器はホルムルI式を強く印象付けるものである。一方、31号墓では、乳房型四脚のイシュカンリオ・オレンジの鉢が出土していて、MerwinとVallantが指摘するほかのホルムルIAの土器でもみられる周囲に黒点を伴う階段状文様が描かれている。MerwinとVallantは、この文様についてツァコルI式に先行するホルムルIAとしたが、ウィリーとギフォードは、周囲に黒点を伴う階段状文様は、ツァコル式のアクトゥンカン・オレンジの文様であり、そのような文様の乳房型四脚土器はみたことがないことから、アクトゥンカン・オレンジに発展する最初の土器ではないかと考える。また31号墓には、器台付きの土器や漆喰の多彩色土器があって、これがホルムルIBからホルムルIII(古典期前期後半)の時期、サルの取手のついた蓋が、ホルムルII(古典期前期後半)以降、13号墓でも確認されているホルムルIBに位置づけられる蛇紋岩製の二枚貝を模したペンダントなどの出土品からも時期を位置づける必要があると主張し、層位関係から

バルトン・ラミー30号墓=フローラル・パーク古相/ホルムルIA並行

バルトン・ラミー31号墓=フローラル・パーク新相/ホルムルIB並行

バルトン・ラミー13号墓=エルミタヘ古相/ホルムルIBないしツァコル1並行

バルトン・ラミー19号墓=ツァコル1並行

とした。

1965年にグアテマラ・シティで行われた「マヤ低地土器」(Maya Lowland Ceramics)に関する学術会議では、明確なフローラル・パークのひろがりは、バルトン・ラミーとアルタル・デ・サクリフィシオスにみられ、ホルムルI式の分布範囲と重複していることが指摘された。


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