日本の政治家原口 一博はらぐち かずひろ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1959-07-02) 1959年7月2日(64歳)[1]
出生地 日本 佐賀県佐賀市
出身校東京大学文学部心理学科卒業
前職佐賀県議会議員
所属政党(無所属→)
(自由民主党(宮澤派)→)
(無所属→)
(新生党→)
(新進党→)
(国民の声→)
(民政党→)
(民主党(原口グループ)→)
(民進党→)
(旧国民民主党→)
立憲民主党
称号文学士(東京大学、1983年)
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原口 一博(はらぐち かずひろ、1959年〈昭和34年〉7月2日 - ) は、日本の政治家[1]。立憲民主党所属の衆議院議員(9期)、立憲民主党佐賀県連代表[2]。
佐賀県議会議員(2期)、総務大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進)、衆議院総務委員長、民進党副代表、同常任幹事会議長、旧国民民主党代表代行、同国会対策委員長、衆議院決算行政監視委員長などを歴任。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀西高等学校、東京大学文学部心理学科を卒業。大学卒業後、松下政経塾へ第4期生として入塾した[3]。 佐賀県議会議員選挙に立候補して当選する。県議時代は自由民主党に所属して河本派幹部の山下徳夫の系列であった。自民党時代は宮澤派(宏池会)に所属していた[4]。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補した佐賀県全県区選出の大坪健一郎が落選後に引退を表明し、佐賀県議会議員だった原口を後継指名。1993年の第40回衆議院議員総選挙に原口は県議を辞職して無所属で佐賀県全県区から立候補するが、同区最下位の5位で当選した坂井隆憲の得票数55242票を549票下回る僅差で落選した。 1994年、自民党を離党した衆議院議員の愛野興一郎に従い新生党に入党し、同年末の新進党結党に参画した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では佐賀1区から新進党公認で立候補し、前回敗れた坂井を下し、初当選した(坂井も比例復活)。 1997年、新進党が解党した後は国民の声に参画、民政党を経て1998年、民主党に合流した。 1999年8月、衆議院本会議での国旗及び国歌に関する法律では反対票を投じた。 2002年から、鈴木宗男事件の追及により徐々に知名度を上げる。衆議院予算委員会で行われた鈴木宗男の証人喚問において、「モザンビーク共和国洪水被害への国際緊急援助隊の派遣に反対・異議を唱えた事実があるか」「島田建設株式会社による秘書給与の肩代わりの事実関係を承知していたか」の2点について鈴木に質問し、鈴木はいずれも否定したが、後にこの証言が偽証である事実が判明し、原口のこの質問がきっかけで鈴木は議院証言法違反により告発された。同年9月、予算委員会で鈴木を議院証言法違反で告発する事が決議された際も、原口は賛成した。 北朝鮮による日本人拉致問題にも早くから関心を示していた。自民党の石破茂や中川昭一らが中心になって立ち上げた北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟にも設立時から関わっており、拉致議連副会長を務めた他、常にブルーリボンを胸に付けている。国会議員の靖国神社参拝にも前向きで、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会のメンバーでもある。「諸君!」2005年8月号には論文「小泉首相、靖國で会いましょう。
経歴
政治家へ2009年5月15日、有楽町センタービル前での街頭演説にて