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原シナイ文字
原シナイ文字の例。左上から右下へ読み、mt l bʿlt(バアラト (女神) へ)と読まれる可能性がある
類型:アブジャド
言語:北西セム語
時期:紀元前18-15世紀
親の文字体系:ヒエログリフ
原シナイ文字
子の文字体系:フェニキア文字、南アラビア文字
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音素文字の歴史
青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀
ウガリット 前15世紀
原カナン 前14世紀
フェニキア 前11世紀
古ヘブライ 前10世紀
サマリア 前6世紀
アラム 前9世紀
ブラーフミー 前6世紀
(インド系)
チベット 7世紀
クメール 7世紀
ジャワ 9世紀
他多数
ヘブライ 前3世紀
シリア 前2世紀
ナバテア 前2世紀
アラビア 4世紀
ペルシア 7世紀
ウルドゥ 11世紀
ターナ 18世紀
パフラヴィ 前2世紀
アヴェスタ 4世紀
ソグド
突厥 5世紀
ウイグル 8世紀
(契丹小字 10世紀)
(女真小字 12世紀)
モンゴル 13世紀
満洲 16世紀
シベ 20世紀
トド 17世紀
ワキンダラー 20世紀
ギリシア 前9世紀
エトルリア 前8世紀
ラテン 前7世紀
ルーン 2世紀
オガム 4世紀
ゴート 4世紀
コプト 300年
グルジア 4世紀
アルメニア 405年
グラゴル 862年
キリル 10世紀
イベリア 前6世紀
南アラビア 前9世紀
ゲエズ 前5–6世紀
メロエ 前3世紀
カナダ先住民 1840年
注音 1913年
原シナイ文字(げんシナイもじ)は、シナイ半島のサラービート・アル=ハーディム(英語版) (アラビア語: ????? ?????? Sar?b?? l-ḫ?dim) で発見された、青銅器時代中期 (紀元前2000年-紀元前1500年) の年代と推定される少数の刻文に使われている文字を指す。
最古の「原シナイ文字」刻文は、早くて紀元前19世紀、遅くて紀元前16世紀のものと推定される。「主な議論は早い時期である1850BCごろか、遅い時期である1550BCごろかで争われている。どちらの時期をとるかによって、原シナイ文字と原カナン文字のどちらが古いか、そこからの帰結として音素文字がエジプトとパレスチナのどちらで生まれたかが決定される」[1]。青銅器時代の「原シナイ文字」およびさまざまの「原カナン文字」の刻文資料はわずかな量のものしか存在しない。青銅器時代が崩壊し、レヴァント地方に新しいセム系の王朝が勃興して、はじめて鉄器時代のフェニキア文字の直接の祖先である「原カナン文字」(ビブロス刻文)が現れる[2]。
いわゆる「原シナイ文字」は、1904年から1905年にかけての冬にシナイ半島でフリンダーズ・ピートリー夫妻が発見した。これに加えて、紀元前17世紀から15世紀のものとされるさまざまな短い「原カナン文字」刻文がカナンで発見された。より新しくは、1999年にen:John Darnellとen:Deborah Darnellが中エジプトでいわゆるワディ・エル・ホル文字(ワディエルホルもじ、英語:Wadi el-Hol script)を発見した。紀元前19世紀から紀元前18世紀頃のものと推定される[3][4]。 原シナイ文字は、シナイのサラービート・アル=ハーディム
石刻資料
サラービート刻文
トルコ石鉱山の中および近辺、およびハトホル神殿に通じる道で発見された岩石を引っかいて作られた刻文はヒエラティックまたはヒエログリフで書かれているものが多いが、そのうち40ほどがいわゆる原シナイ文字で書かれている[5]。
刻文の時代は通常紀元前17世紀から紀元前16世紀の間と考えられている[6]。
4つの刻文は寺院の中の2つの人物像と小さな石でできたスフィンクスの両側に書かれている。乱雑に書かれており、これを書いた労働者が文盲であった可能性を示唆する。
1916年にガーディナーはこの記号を音素文字であると仮定して、刻文のなかの文字列を ????? l bʿlt (女神へ)と読んだ(baʿalat〔バアラト。女神〕はハトホルの称号で、セム系の神の称号であるbaʿal〔バアル。主、神〕の女性形)である)。
石のスフィンクスに書かれたものは二言語の碑文であり、エジプト語の方は「トルコ石の主であるハトホル神の最愛の者」と読める。ガーディナーによると、原シナイ語の方は mʿhbʿl と読み、bʿlt の最後の t が欠けたものと見て、「女神の最愛の者」と読まれる。