「即身成仏」とは異なります。
『北越雪譜』所収の弘智法印のミイラの図
即身仏(そくしんぶつ)は、主に日本の仏教(密教)に見られる僧侶のミイラのこと。特に即身成仏思想を基底とする真言宗湯殿山系寺院における僧侶のミイラをこのように呼称するが、それ以外の思想的背景にもとづく日本の僧侶・行者のミイラも便宜上本項目中で解説する。なお、この種のミイラの総称として入定ミイラ(にゅうじょうミイラ)という呼称が用いられる場合もあるが、地方や信仰、研究者によって呼ばれ方は一定していない[1]。 日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。原義としての「入定(単に瞑想に入ること)」と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。日本においては山形県の庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。 即身仏になろうとする者は、死後に肉体が腐敗しないよう整え、ミイラの状態に体を近づけるために、まず木食修行を行う。米や麦などの穀類の食を断ち、木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経典を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる。次に筋肉が糖として消費される。漆の防腐作用[注釈 1]に期待し、または嘔吐することによって体の水分を少なくする目的で、漆の茶を飲むこともあった。 科学的には、即身仏とはヒトが死んでミイラとなることにほかならず、信仰上生きているとされても生物学的には死んでいる。生入定を作ることは、現在の日本では自殺幇助罪または死体損壊罪・死体遺棄罪に問われるため、法律上不可能である。 即身仏・入定ミイラは鼠害・虫害を受けている場合がほとんどであり、出開帳で遠隔地に持ち出された際に物理的損傷を受けているものも少なくない[2]。中には大正時代に行方不明となった萬蔵稲荷神社の萬蔵のような例もある。現存する即身仏・入定ミイラには日本ミイラ研究グループによって調査・保存修理が行われたものも少なくないが、その維持管理は寺院や信者に委ねられている場合がほとんどであり、管理状態が必ずしも良好ではないことが指摘されている[1]。 日本の即身仏・入定ミイラの研究・保存は、「日本ミイラ研究グループ」によるところが大きい。その活動は、昭和34年(1959年)に早稲田大学の安藤更生と新潟大学の小片保
概要
安藤更生 - 早稲田大学教授、史学・美術史(初代委員長、1960-1970年)
池上広正
日本の僧侶・行者のミイラの総称として入定ミイラという語が用いられることがある。入定とは本来は座禅入定、すなわち座禅によって精神を統一し修行する意味である。それがなぜミイラになることと結びつけられるのかといえば、生身ではたどり着けない56億7000万年後の弥勒の下生を、滅心定に入ることで待つという思想による。『大唐西域記』巻第12には、瞿薩旦那国の牛角山で数百年の間滅心定に入って弥勒の下生を待っている阿羅漢がいるという記述がある[5]。滅尽定(滅心定)は「聖果を得て永遠に入定している姿で、死ではない」と『中阿含経』第五十八は説明している[6]。