即位礼正殿の儀
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Enthronement of the Japanese emperor
「おことば」を読み上げる天皇徳仁
2019年10月22日
種類「即位の礼」の中心儀式
頻度天皇の即位ごと(一世一度)
会場皇居宮殿正殿・松の間
会場所在地東京都千代田区千代田1-1
開催国 日本
最終開催2019年10月22日 (2019-10-22)
前回〈第126代天皇 徳仁
2019年(令和元年)10月22日
午後1時 -
参加者

天皇

皇族

内閣総理大臣

195か国の国家元首

来場者数約2500人
ウェブサイト
宮内庁
動画(政府インターネットテレビ)
即位礼正殿の儀当日の皇居宮殿・正殿
1990年(平成2年)11月12日撮影高御座の前で万歳三唱する内閣総理大臣海部俊樹(当時)正殿中庭の旙

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)は、即位の礼の中心となる、即位した天皇日本国に即位を宣明する国事行為たる儀式である。

諸外国における戴冠式、即位式にあたり、皇居宮殿正殿松の間で執り行われる。
概要

天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式であり、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たる。このため国内外から賓客が招かれ、特に国外においては国家元首あるいは首脳が参列する。

古来、大内裏内の大極殿、大内裏が廃絶して以降は京都御所内の紫宸殿で行われた。東京奠都を経た後も、1889年(明治22年)公布の旧皇室典範で『「即位の礼」と「大嘗祭」は京都で行う』との規定により、大正天皇および昭和天皇の即位礼は京都行幸の上で「即位礼紫宸殿の儀(そくいれいししんでんのぎ)」として行われた。1947年の皇室典範改正では第二十四条に「皇位の継承があつたときは即位の礼を行う。」とあるのみでその斎行場所についての記述がなくなった。125代天皇・平成の天皇の即位礼は、平成2年(1990年)11月12日に東京・皇居で行われ、名称も「即位礼正殿の儀」に改称された。

当日はいずれも国民の休日となる(根拠法は、平成時は「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律(平成二年法律第二十四号)」、令和時は「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律(平成三十年法律第九十九号)」)。
装飾

天皇と皇后が昇る高御座御帳台は通常は京都御所紫宸殿にあるが、即位式を行うにあたりその都度解体して運搬され、松の間に設営される(松の間中央に高御座、正殿向かって右に御帳台)。

中庭に面する正殿中央には、京都御所の紫宸殿の「南階十八段」を模して階段(こちらも段数は18段)が設けられる。ただし、実際には使用されない。中庭には旗が立てられ、文官武官の装束を身につけた総理府(現:内閣府)、宮内庁職員が「威儀物捧持者」として奉仕する。荒天の場合は中庭の装飾はせず、職員の配置も屋内へと変更される。
式次第


高御座(左)と御帳台(右)


正殿松の間の参列者見取り図(平成2年)

宮殿中庭の配列見取り図(平成2年)

(イメージ、実物は非公開)

三権の長、皇族、天皇、皇后の順に正殿松の間に参入する。

天皇、皇后が高御座、御帳台に昇る。

参列者がの合図により起立する。高御座、御帳台の帳が開けられる。

参列者がの合図により敬礼する。

内閣総理大臣が高御座前に参進する。

天皇の「おことば」がある。

内閣総理大臣が寿詞を述べる。

内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。

万歳三唱後、北の丸公園自衛隊による21発の皇礼砲が撃たれる[1]

内閣総理大臣が所定の位置に戻る。

高御座、御帳台の帳が閉められる。参列者が鉦の合図により着席する。

天皇、皇后が高御座、御帳台から降りる。

天皇、皇后、皇族、三権の長の順に退出する。

松の間には、成年皇族が高御座から向かって左側と御帳台から向かって右側、三権の長が高御座左側のさらに後方に侍立する。
平成の即位礼正殿の儀

1990年11月12日、皇居宮殿において行われた。
特記事項および先例との変更点


紫宸殿と正殿では部屋の構造が異なるため、高御座と御帳台との距離が従来より近くなった。そのため、両者の左右の階段を取り付けなかった。

紫宸殿の儀においては天皇は紫宸殿の後方から出御、高御座に昇った上で、参列者に姿を見せていたが、今回は正殿の構造に加え、外国賓客・国内要人等の主要な参列者が天皇皇后の姿にできるだけ直接接することができるように配慮したうえで天皇・皇后の動線を変更し、正殿梅の間前の廊下を経て出御することとした。

参列者の席は中庭を囲む豊明殿や長和殿などに設営されたが、人数分の座席が収まりきらないため、一部中庭にせり出して設営された。

三権の長は、紫宸殿の儀では中庭に並び、内閣総理大臣が正面の階段を上って登殿していたが、憲法の定める国民主権に配慮し、平成以降は全員正殿内に侍立する形に改められた(正殿正面には引き続き階段が設置されるが、実際には使用されない)。また、紫宸殿の儀においては皇族と同様に束帯を着用していたが、燕尾服など洋装に変わった。

NHKなど放送事業者によって、儀式の模様が史上初めて生中継された。

装束


即位礼に際して御装束を着用する天皇明仁、皇后美智子
(現:上皇、上皇后)

明治天皇の即位礼の際に礼服が廃止され、以来即位礼では和風の装束が着用されている。これを「御装束」と称する。

天皇(明仁):束帯黄櫨染御袍立纓御冠を着用し、を持つ。

皇后(美智子):唐衣裳装束の着用。唐衣は白系統、表着は緑系統(皇后の料は、古くは赤色や青色の織物が多いが、後深草天皇即位の時、母后は白唐衣を用いた。また立后のときは唐衣と表着に白を用いるのが平安中期以降の慣例であり、これらを参照して大正以降即位の礼の皇后の料は白唐衣に緑系統の表着という組み合わせに固定化した)。髪型は御垂髪(おすべらかし)で平額を付ける。桧扇を持つ。

男性皇族(皇太子徳仁親王皇嗣)・秋篠宮文仁親王常陸宮正仁親王三笠宮崇仁親王ェ仁親王高円宮憲仁親王):束帯黒色袍に垂纓冠を着用し、笏を持つ。皇嗣のみ黄丹御袍を着る。
束帯黄丹袍を着用した徳仁親王束帯に身を包んだ文仁親王

女性皇族(文仁親王妃紀子紀宮清子内親王正仁親王妃華子宣仁親王妃喜久子崇仁親王妃百合子ェ仁親王妃信子憲仁親王妃久子):唐衣裳装束。唐衣は紫。桧扇を持つ。

三権の長:洋装礼服(燕尾服)に勲章着用。昭和天皇の即位礼の際は田中義一内閣総理大臣は黒色袍の束帯であったが、平成の儀式では洋装が採用された。

威儀物奉持者:束帯緋色袍または黒色袍に垂纓冠または巻纓冠を着用。


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