即位の礼
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.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}即位の礼(そくいのれい)
Ceremonies of the Accession to the Throne

「おことば」を読み上げる第126代天皇徳仁
2019年10月22日撮影)
種類国事行為
(天皇が即位を国の内外に宣言する諸儀式)

剣璽等承継の儀

即位後朝見の儀

即位礼正殿の儀

祝賀御列の儀

饗宴の儀

頻度天皇の即位ごと
(一世一度)
会場皇居宮殿
会場所在地東京都千代田区千代田1-1
開催国 日本
前回〈第126代天皇徳仁
2019年令和元年)5月?11月
参加者

天皇

皇族

三権の長

招待国国家元首首脳

国内招待者

主催日本国政府
ウェブサイト
www.kunaicho.go.jp
宮殿中庭に並べられた色とりどりの旛や、鉦、鼓、桙@萬歳旛 A日像纛旛 B月像纛旛 C菊花章大錦旛 D菊花章中錦旛 E菊花章小錦旛 F桙 G鉦 H鼓孝明天皇の即位礼
京都御所紫宸殿にて

即位の礼(そくいのれい、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:?位ノ禮)または即位礼(そくいれい)は、日本天皇践祚後、皇位を継承したことを国の内外に示す一連の国事行為たる儀式で、最高の皇室儀礼

中心儀式の即位礼正殿の儀は、諸外国における戴冠式、即位式にあたる。

即位の礼後に、五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭が行われ、即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)または御大典(ごたいてん)とも称される。
概要

皇嗣が新たに皇位に就くことを「即位」といい、古代では神へ寿詞(よごと)を奏上し、神璽を献納する事を中心とした、簡素なものであったが、平安時代に「皇位の継承」である「践祚(せんそ)」と「即位(そくい)」が別の儀式として行われるようになり、風の儀式が江戸時代まで続いた。即位にかかる儀式全般を即位儀礼というが、これは皇嗣が即位する「践祚の儀(せんそのぎ)」と、即位したことを内外に宣下する「即位の礼」に分かれる。

従来は平安時代からわかる即位式がきわめて唐風なために即位式は新しく導入された儀式だと考えられてきたが、その後の研究で「延喜式」で正月に行われる朝賀儀とまったく同じ式次第で、しかも四拝という日本固有のミカドオガミで行われていたことがわかり、もともとは中国儀式として成立したのではなく、正月に壇を設けてそこに登って即位するという古くからの伝統を継承していることがわかってきている[1]

明治時代1889年(明治12年)に制定された旧「皇室典範」に属する登極令によって儀式の内容が細かく規定されたが、1947年昭和22年)に、同令は旧皇室典範と共に廃止となった為、現行の新「皇室典範」でも即位の礼を行う定めがあるにも拘らず、内容についての具体的規定は無い。そのため、大嘗祭をどの様に行うのか、昭和天皇崩御前後から、様々な(政治・思想的)立場から論議が起きた。

明治維新による近代化以降の現代に至る、明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代・令和時代と、他の重要な「皇室慶弔行事」と同様に即位の礼の挙行日はその年限りの祝日となることが慣例となっている。明治憲法下で即位の礼を行った大正天皇昭和天皇の時には勅令により、日本国憲法下で即位の礼を行った明仁(現・上皇)と徳仁の時は法律によって即位の礼の当日が祝日として定められた。以来、即位の礼は「剣璽等承継の儀」、「即位後朝見の儀」、「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、「饗宴の儀」の5つの儀式から構成され、これらは全て国事行為である。
即位の礼と憲法

明治憲法下において、「即位ノ礼」は登極令に基づいて挙行され、神事との区別も厳格に行われていなかったが、日本国憲法下で初となる明仁の即位の礼は皇室典範に基づいて行われ、徳仁の即位の礼もこれに倣った。現在の即位の礼の一連の儀式は全て国事行為である。

平成の即位の礼ではキリスト教関係者ら[2]が、即位の礼への国費支出や即位の礼への都道府県知事県議会議長の参列が憲法の政教分離原則の観点から違憲であるとして[3]、東京、大分、鹿児島、神奈川、大阪で憲法訴訟を起こしたが、訴えは全て斥けられ、最高裁も合憲の判決を出した。これらの原告敗訴は、国費支出が原告に不利益を与えないという判断であったり、知事が参列することが政教分離の目的効果基準に照らして政教分離に反しないという判断によるものである[4]

ただし、1995年(平成7年)の大阪高裁判例では「平成の即位の礼が既に終了しており、原告に不利益を与えない」との主旨で原告の訴えを斥けながらも、傍論において「平成の即位礼正殿の儀では、政府は、旙(ばん、装飾用の旗)から日本神話において天皇の権威の象徴とされるヤタガラスを取り除いたり、元来内閣総理大臣が正殿の階段の下の宮殿中庭から正殿・高御座の天皇を見上げて万歳三唱するところを[注釈 1]、正殿内で万歳三唱するよう修正したりして政教分離、国民主権にも一定程度配慮した」と、政府の政教分離に対する配慮を認めたうえで「憲法違反の疑いは一概に否定できない」と指摘したこともある[5]

2018年(平成30年)12月10日、原告241名が天皇の退位等に関する皇室典範特例法の規定による明仁の退位と新天皇・徳仁の即位に伴う「退位の礼」、「即位の礼」、「大嘗祭」などの実施が政教分離を定めた憲法の規定に違反するとして、国を相手取り公金支出の差し止めと損害賠償を求め、東京地裁に提訴した[6]
儀式

日本国憲法施行後の「即位の礼」では、5つの儀式(国事行為)が行われる。ここでは儀式を概説する。明仁天皇の剣璽等承継の儀
即位の礼はこの儀式から始まる

剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)--- 皇位継承があった当日に行われる儀式。新天皇や男性皇族が宮殿正殿・松の間に入り、新帝の前に置かれた案(机)に三種の神器のうちの剣璽御璽国璽が安置され、新帝が剣璽に挟まれて退出する。明治憲法下での剣璽渡御の儀(けんじとぎょのぎ)にあたる。
剣と璽(イメージ、実物は非公開)

即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)--- 皇位継承当日か、後日行われる儀式。天皇が即位後初めて三権の長をはじめとする国民の代表者と会う。正殿松の間に天皇・皇后や皇族が入場し、天皇の「おことば」の後、内閣総理大臣の式辞がある。これは明治憲法下の践祚後朝見の儀(せんそごちょうけんのぎ)に相当する。

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)--- 天皇が即位を国の内外に宣明する、いわば即位の礼の中心といえる儀式で、戴冠式、即位式に相当し、各国の元首首脳らや国内の代表が参列する。皇位継承当日とは日を隔て行われる。宮殿正殿の松の間に高御座、御帳台が設置されて、それぞれ「御装束」に身を包んだ天皇・皇后が登り、諸皇族、三権の長が左右に控える。天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。
1990年(平成2年)、即位礼正殿の儀

祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)--- 即位礼正殿の儀終了後、天皇・皇后が皇居宮殿から赤坂御用地にある赤坂御所まで御料車パレードする儀式。


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