印欧語族における母音の原始的体系に関する覚え書 (フランス語: Memoire sur le systeme primitif des voyelles dans les langues indo-europeennes、以下「覚え書」とする) は1879年にライプツィヒで発表された[† 1]、フェルディナン・ド・ソシュールによる論文である。印欧祖語の内的再建から、長母音が短母音+「ソナント的な付加音」[† 2]から発達したのではないかと想定し、印欧祖語の母音組織について統一的な仮説を提出した。当時の学術的水準からすれば非常に進んだものであったが、当時の学界では良い反応を得られなかった[1] 。
後のヒッタイト語の研究から、ソシュールの想定した「ソナント的な付加音」が現実的なものとなり、広く受け入れられるようになった[2]。その影響が広い範囲に及んだため、印欧語研究の歴史において、最も重要な発見であると言える[3]。 ソシュールは1877年にパリ言語学会
印欧語の様々なaの区別に関する試論
あまり注目はされなかったが、印欧祖語のアプラウト研究において、極めて重要な論文である[4]。 1877年の試論の発表の後、ソシュールは覚え書の準備に取り掛かった。 ソシュールは試論の内容を下敷きとして、基本母音*e, *o, *aのうち、*aの出現頻度が他2つに比べて異常に高いことに注目し、*aの一部はもともと母音以外の起源を持つのではないかと考えた。ソシュールはこの母音以外の起源は、自身も発見していたもののその功績はブルークマンに譲った、母音ソナントにあるとした[5]。 だが鼻音ソナントに起源を持つ*aを考慮に入れても、それでは説明できない*aが存在した。ソシュールは、これらは本来的な母音に「ソナント的な付加音」が付いて縮約された形だと仮定した[5]。ここでソナント的な付加音とは、ブルークマンの鼻音ソナントに加え、従来別のものとされてきた母音 (半母音) *y, *wを含めたものである。また、*eとは交代しない*oの存在を指摘し、これを*o?と表記した[† 6][6]。 以上から、ソシュールは次のように結論した。*eは最も基本的な音であって、*oと交替する。ソナント的な付加音 (*?, *o?) が付くことがある。*eは消失することがあるが、ソナント的な付加音があればそれが母音となる。*eに*?, *o?が付くことで、?, ??が生じる[7]。 印欧祖語の語根母音[8]完全階梯a1 ソシュールが青年文法学派の反感を買っていたためか、ドイツ学界の公な反応は薄く、個人攻撃さえあった。ヘルマン・オストホフがアイデアの盗用を疑って辛辣な批判を行い[9]、ブルークマンが短い書評を公開したほかは、ドイツでの反応はなかった。一方で、公な形にはなっていないものの、ドイツ比較言語学者たちの間では関心を呼んでいた。ソシュールの友人で歴史学者のフランシス・ド・クリュ (Francis De Crue) によれば、ソシュールはドイツ文献学者フリードリヒ・ツァルンケ
内容
a2a1i
a2ia1u
a2ua1n
a2na1m
a2ma1r
a2ra1?
a2?a1O?
a2O?
低減階梯--i-u-n?-m?-r?-A-o?
当時の学界の受け止め
ソシュールの理論を正当に受け入れたと言えるのは、ポーランドのミコライ・クルシェフスキ(英語版)とフランスのルイ・アヴェ(英語版)であった。アヴェはジュネーブの新聞に論文を高く評価する書評を掲載したが、これはソシュールをいたく喜ばせた[11]。しかし青年文法学派の反応が堪えたためか、ソシュールはこれ以降比較言語学の研究の最前線に来ることはなかった[12]。
その後詳細は「喉音理論」を参照
ソシュールの提出した「ソナント的な付加音」は、後の喉音理論に繋がった。
デンマークの学者ヘルマン・メラーは、ソシュールの*?を*?と*?の2つに分け、o?と合わせて3つの単位とし、これらがセム語の喉音と類似していると指摘した。メラーの後、この説を支持する研究者はフランスのアルベール・キュニー(英語版)まで1世紀あまり現れなかった。20世紀になってヒッタイト語が解読されると、イェジ・クリウォヴィチがヒッタイト語の/?/とソシュールの*?の対応を指摘した。さらにエミール・バンヴェニストの支持を得て以降、ソシュールの「ソナント的な付加音」、あるいは喉音理論は学界の広く受け入れるところとなった[13]。 ソシュールの門下であるアントワーヌ・メイエは「この一冊でいきなり当時の巨匠のひとりに加えるに十分」と評した[14]。
評価
出典
注釈^ 実際に発行されたのは1878年12月であるが、初版では1879年となっている。
^ フランス語: coefficient sonantique。当時ソナントとは流音と鼻音を指したので、この用語が使われた。訳語は神山による。(神山 2006, p. 84)
^ 「パリ言語学会紀要」第3巻5号に寄稿(神山 2003, p. 82)