印契
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印鑑における印影のデザインとしての印相については「印章#印章にまつわる信仰や迷信」をご覧ください。
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印相(いんそう、いんぞう、: mudr?)は、仏教において、手ので様々な形を作り、菩薩諸尊内証を標示することを指す[1]。印(いん)、印契(いんげい)[注釈 1]、密印、契印ともいう[1]。修行者が本尊と渉入し融合するために、その本尊の印相を結ぶこともある[1]。本来は仏教において印相に関する定まった軌則は無かったが、密教の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった[1]。儀軌の成立した時代の違いや地方の別によって、印相には差異がある[1]
概要

サンスクリットのムドラー(??????、mudr?)の漢訳であり[1]、本来は「封印」「印章」などを意味する。主に仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。

寺院その他で見かける仏像には、鎌倉大仏のように両手を膝の上で組み合わせるもの、奈良の大仏のように右手を挙げ、左手を下げるものなど、両手の示すポーズ、すなわち印相には決まったパターンがある。それぞれの印相には諸仏の悟りの内容、性格、働きなどを表す教義的な意味があり、仏像がどの印相を結んでいるかによって、その仏像が何であるか、ある程度推測がつく。

密教曼荼羅などには、さまざまな印相を結ぶ仏、菩薩像が表現されているが、ここでは日本の寺院などで見かける代表的なもの数種類について略説する。
主な印相
施無畏印
(英語版)(せむいいん)(Abhaya Mudr? アバヤ・ムドラー)
手を上げて手の平を前に向けた印相。漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」と相手を励ますサインである。不空成就如来が結ぶ。
与願印(よがんいん)(Varada Mudr?)
手を下げて手の平を前に向けた印相。坐像の場合などでは手の平を上に向ける場合もあるが、その場合も指先側を下げるように傾けて相手に手の平が見えるようにする。相手に何かを与える仕草を模したもので宝生如来などが結ぶ。
施無畏与願印(せむい よがんいん)
右手を施無畏印にし、左手を与願印にした印。坐像の場合は左手の平を上に向け、膝上に乗せる。これは信者の願いを叶えようというサインである。施無畏与願印は、如来像の示す印相として一般的なものの1つで、釈迦如来にこの印相を示すものが多い。与願印を示す左手の上に薬壷が載っていれば薬師如来である。ただし、薬師如来像には、本来あった薬壷の失われたものや、薬箱に乗るなど、もともと薬壺を持たない像もある。また、阿弥陀如来像の中にも施無畏与願印を表すものがあり、この印相のみで何仏かを判別することは不可能な場合が多い。図1は香港・ランタオ島の天壇大仏で、施無畏与願印を結ぶ。図1 施無畏与願印(香港・天壇大仏)
転法輪印(てんぽうりんいん)(Dharmachakra Mudr?)
釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作る。手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいう。「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。親指とどの指を合わせるか、手の平を前に向けるか自分に向けるか上に向けるかなどによってさまざまなバリエーションがある。例えば胎蔵界曼荼羅釈迦院の釈迦如来の場合、両手の指先を上に向け、右手は前に、左手は自分側に向ける。この場合、右手は聴衆への説法を意味し左手は自分への説法を意味する。
定印(じょういん)(Dhy?na Mudr?)
禅定印、法界定印とも。坐像で、両手の手のひらを上にして腹前(膝上)で上下に重ね合わせた形である。これは仏が思惟(瞑想)に入っていることを指す印相である。釈迦如来、大日如来(胎蔵界)の定印は左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばす。これを法界定印(ほっかいじょういん)という[注釈 2]。阿弥陀如来の定印は密教では法界定印とされるが、浄土教などでの場合は同じように両手を重ねて親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもある。阿弥陀如来の印相には沢山のバリエーションがあるので、後に詳述する。
触地印(英語版)(そくちいん)(Bh?mispar?a Mudr?)
降魔印ともいう。坐像で、手の平を下に伏せて指先で地面に触れる。伝説によると、釈迦は修行中に悪魔の妨害を受けた。その時釈迦は指先で地面に触れて大地の神を出現させ、それによって悪魔を退けたという。このため触地印は、誘惑や障害に負けずに真理を求める強い心を象徴する。釈迦如来のほか、阿?如来天鼓雷音如来が結ぶ。
智拳印(ちけんいん)(Vajra Mudr?)
左手は人差し指を伸ばし、中指、薬指、小指は親指を握る。右手は左手人指し指を握り、右親指の先と左人指し指の先を合わせる。大日如来(金剛界)、一字金輪仏頂多宝如来が結ぶ。


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