印パ戦争
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インドとその係争中の領土

印パ戦争(いんパせんそう)は、インドパキスタンの間で行なわれた戦争のこと。第一次(1947年)、第二次(1965年)、第三次(1971年)と、両国間ではこれまでに3度の戦争が行われている。第一次と第二次はカシミール紛争の過程で、第三次はバングラデシュの独立に際して勃発した。インド・パキスタン戦争(インド・パキスタンせんそう)とも表記する。
第一次印パ戦争(1947年 - 1949年)詳細は「第一次印パ戦争」を参照

1947年イギリスから分離独立した両国は当初から対立を続けていたが、1948年に北西部のカシミール地方領有をめぐって武力衝突に発展した。しかし国連の仲介によって停戦し、そのときの停戦ラインによってカシミールは分割された。これを第一次印パ戦争という。
中印戦争(1959年 - 1962年)詳細は「中印国境紛争」を参照

1950年代後半より表面化した中ソ対立の影響で、インドをソビエト連邦が支援し、印パ戦争ではパキスタンを中華人民共和国が支援しており、中ソ両国の対立が色濃く影響していた。インドと中国は国境線をめぐって対立し、1959年9月にインドと中華人民共和国の両軍による武力衝突が起き、1962年11月には大規模な衝突に発展した。主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダックザンスカールバルティスターン、ブータンの東側東北辺境地区(現在のアルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となったが、中国人民解放軍の勝利で終わり、国境をインド側に進めた。戦後、インドは核開発を開始する。
第二次印パ戦争(1965年 - 1966年)詳細は「第二次印パ戦争」を参照

1965年に再びカシミール地方の領有をめぐって、インド西部国境地帯を中心に武力衝突に発展、二度目の戦争が勃発した。これを第二次印パ戦争という。翌1966年には国連の仲裁で停戦した。
第三次印パ戦争(1971年)詳細は「第三次印パ戦争」および「バングラデシュ独立戦争」を参照

ベンガル地方ムスリムによって構成された東パキスタンは、政治実権を全て西パキスタン(現在のパキスタン)に握られており、植民地の様相を呈していた。また1970年のサイクロンによって東パキスタン国土の殆どが水没、30 - 50万人に上る死者を出し、西パキスタンに位置していた中央政府の怠慢に市民は憤った。

そこで西パキスタンからの独立運動が広がったが、その独立を阻止するべく、パキスタン軍が制圧を開始した。すると東パキスタンから多くの難民が発生し、インドに流れ込んだ。しかし当時の貧しいインドに大量の難民を抱えるだけの力はなく、インドは東パキスタン独立のため介入し、1971年に3度目の対パキスタン全面戦争となった。これを第三次印パ戦争という。インドは圧倒的な人員で戦争を有利に進め、主戦線から遠いパキスタンは敗北した。東パキスタンは1971年12月バングラデシュとして独立し、翌年7月には(西)パキスタンもそれを承認した。
カールギル紛争(1999年)

1999年に、カシミールのカールギル地区でパキスタン軍およびカシミールの反インド政府活動家が管理ライン(停戦ライン)を超えてインド軍の駐屯地を占領し、両軍が衝突した。これをカールギル紛争(英語版、シンプル英語版)という。
両国の核保有

インドは1950年代以降は、パキスタンの他にも中華人民共和国とも対立しており、同国が1960年代に入り核保有したことによってインドは窮地に立たされた。中華人民共和国はソビエト連邦と対立した上、アメリカ合衆国とも対立を続けていたために核を続々と配備したが、インド国境付近への配備も疑うには十分であった。


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