博物学
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1728年のCyclopaediaに掲載された自然史についての図版

博物学(はくぶつがく、Natural history, 場合によっては直訳的に:自然史)は、自然に存在するものについて研究する学問

広義には自然科学のすべて。狭義には動物植物鉱物岩石)など(博物学における「界」は動物界・植物界・鉱物界の「3界」である)、自然物についての収集および分類の学問。英語の"Natural history" の訳語として明治期に作られた。そのため、東アジアに博物学の伝統は存在しないが、慣例的・便宜的に「本草学」が博物学と同一視される[1]
歴史

自然界に存在するものを収集・分類する試みは太古から行われてきた。自然に対する知識を体系化した書物としては、古代ギリシアではアリストテレスの『動物誌』、テオフラストス『植物誌』、古代ローマではディオスコリデスの『薬物誌』、プリニウスの『博物誌』などがある。

東アジアの本草学は、伝統中国医学における医薬(漢方薬)、または錬丹術における不死の霊薬(仙丹)の原材料の研究として発達した。の時代に李時珍が書いた『本草綱目』はその集大成とも呼べる書物であり、日本にも大きな影響を与えた。

フランシス・ベーコンは自然史と自然哲学とを対比して、自然史は記憶により記述する分野であると規定、それに対し自然哲学は理性によって原因を探求する分野、とした(『学問の進歩』)。

ヨーロッパの大航海時代以降、世界各地で新種の動物・植物・鉱物の発見が相次ぎ、それを分類する手段としての博物学が発達した。薬用植物・ゴムコショウなど、経済的に有用な植物を確保するため、プラントハンターと呼ばれる植物採集者たちが世界中に散り、珍奇な植物を探して回った。また動物や鉱物なども採集された。動物の例で言えば、東南アジアフウチョウなどの標本がヨーロッパにもたらされた。

カール・リンネとジョルジョールイ・ルクレール・コント・ド・ビュフォンはヨーロッパの博物学の発展を促した[2]。リンネは、動物界植物界、鉱物界という自然三界の全ての種についての目録作りを自然史と見なした。ビュフォンは『自然史』において、自然三界を体系的に記述しようとした。

1755年にはカントが『天界の一般自然史と理論』を著し、自然史の名のもとに、太陽系の生成についても記述した。

地質学の領域などで、次第に歴史的な研究が活発化すると、こういった研究については、記述することに重点がある自然史とは区別して考えようとする動きが出てきた。歴史的な考察に力点がある分野を、カントは「自然考古学」とすることを1790年に提唱。だが定着せず、歴史的な分析も含めて、自然史と呼ばれつづけた。

19世紀になると、ラマルクトレヴィラヌスが「biology(生物学)」という学問名の領域を提案した。これは簡単に言えば、生物に関する自然哲学を意味していた。そして、これは自然史とは異なった分野として独自の方法論を展開するようになった。自然史の領域は領域で、知識の集積が進み、もはやひとりの人間が自然三界の全部について専門的な研究を進めるのは困難な状況になっていった。そして、19世紀後半(主にチャールズ・ダーウィン以降)に入ると学問が細分化し、博物学は動物学植物学鉱物学地質学などに細分化された。そして「自然史」や「博物学」という言葉は、それらをまとめて指す総称ということになっていった。

近年では博物学、自然史という言葉は多義的に用いられており、例えば1958年日本学術会議によって用いられた表現「(博物学は)いわば、自然界の国勢調査」に見られる理解のしかたがある。動物分類学や植物分類学だけを指すためにこの言葉が用いられることもある。また、アマチュア的な生物研究を指すためにこの言葉が用いられることもある。
分類

博物学の作業としては、自然物の採集とその同定が最初になる。しかしそれと同じくらい、博物学者たちはその分類に情熱を傾けた。採集と分類は科学としての博物学を支える両輪であった。

素朴な分類法はすでに編み出されていた。たとえば動物を「有用な動物?家畜」と「それ以外の動物?獣」に分類する方法など。しかし、これらの分類は人間の都合や、見た目によるものが多く、科学的な分類法としては採用することができなかった。

自然界にある多種多様のものを分類するために、さまざまな分類法が編み出された。たとえば、人間?高等動物?下等動物?植物?鉱物?火や空気という順に並んでいる「存在の階梯」という分類体系がある。これ以外にも、二分法による体系。三分法による体系など、さまざまな思弁的な分類法が考案された。これらについては荒俣宏著『目玉と脳の大冒険』に詳しい。

一方、生物の分類についてはリンネが形式的には二名法による学名を考案し、分類の基準としては類縁性を元にした自然分類の観点を持ち込んだ。これによって、その後生物における分類学が大きく進んだ。

その後、19世紀後期にダーウィンが『種の起源』を著して進化論を唱える。学会に進化論が認知されるまでにもだいぶ時間がかかったが、やがてそれは科学的な事実として受け入れられるようになった。進化論は必然的に、系統分類(もしくは分岐分類)の分類法を要請する。つまり、類縁性は進化的な近縁性に置き換えられた。生物においては、それ以外の分類法は捨て去られるか、あるいは系統分類に統合されることとなった。

また、非生物の分野でも、分類法の革新があった。元素の発見、化合物の研究が進み、メンデレーエフ周期律表に代表されるように化学的知識が整理されてくると、鉱物を化学物質として研究することが可能になった。

さらに化学と物理の発展した20世紀には、分子生物学によって、生物進化の分岐はゲノムの類似性として直接に検討されるようになった。鉱物には化学的組成と結晶構造による分類、岩石には組成・成因による分類が適用されるようになった。以上のような分析手段の獲得によって直接に一般化・体系化が可能になったことにより、博物学の手段であった収集と比較と記述という手法は、生物の種の同定などといった手続きには厳として残るものの(タイプ (分類学) の記事などを参照)、科学のメインストリームとしては博物学はその使命を終えつつある。
現在の博物学南方熊楠

現在、博物学は学問分野としては残っていないが、自然科学研究のひとつの方法として博物学的研究というのがある。これは、直接フィールド(野山など)に向かい、動物・植物・鉱物などを収集・同定・分類する研究である。たとえば、牧野富太郎が行った植物研究や、南方熊楠が行った変形菌研究などがその例となる。

またこの分野ではアマチュアの活動も大きい役割を担っている(いわゆる市民科学)。たとえば昆虫などは、各地の昆虫採集好きのアマチュアが新種を発見することも多い。


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