博多華丸・大吉
[Wikipedia|▼Menu]

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}博多華丸(はかたはなまる)・大吉(だいきち)
2018年撮影。左から博多華丸、博多大吉
メンバー博多華丸
博多大吉
別名華大
華丸大吉
結成年1990年
事務所吉本興業
活動時期1990年 -
出身福岡吉本1期
出会い福岡大学落語研究会
旧コンビ名さろこま共同体
岡崎君と吉岡君
鶴屋華丸・亀屋大吉
福大土木経済
現在の活動状況テレビ・ライブ・MCなど
芸種漫才ものまねコント
ネタ作成者博多大吉
現在の代表番組あさイチ
華丸・大吉のなんしようと?
火曜は全力!華大さんと千鳥くん
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
とことんサンデー
Hi-Ho!
おもいッきりDON!
おもいッきりPON!
華丸大吉の2020
華大の知りたい!サタデー
教えてもらう前と後など
同期ケン坊田中
カンニング竹山
コンバット満
立川談慶
千原兄弟
FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
白川悟実(テンダラー
堀内健原田泰造ネプチューン
ウド鈴木キャイ?ン
X-GUN
電撃ネットワークほか
公式サイトプロフィール
受賞歴
2014年 THE MANZAI 2014 優勝
2019年 第26回福岡県文化賞
テンプレートを表示

博多華丸・大吉
YouTube
チャンネル

博多華丸・大吉の「YouTuberになりたい!」

活動期間2015年 -
ジャンルエンターテイメント
登録者数4.59万人
総再生回数233万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-01-15-00002024年1月15日時点。
テンプレートを表示

博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本のお笑いコンビ司会者1990年5月結成。THE MANZAI2014王者。福岡吉本第1期生[注 1]

吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー、しばらく福岡で活動後2005年に上京した。博多弁漫才を全国展開するなど活躍している。略称は「華大(はなだい)」「華丸大吉」。
メンバー詳細は「博多華丸」および「博多大吉」を参照
博多 華丸(はかた はなまる、本名:岡崎 光輝〈おかざき みつてる〉1970年4月8日 - )(54歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって左。福岡県福岡市早良区出身。
博多 大吉(はかた だいきち、本名:吉岡 廣憲〈よしおか ひろのり〉1971年3月10日 - )(53歳)
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。兵庫県神戸市生まれ[1]、福岡県古賀市出身。
来歴
デビューまで

2人は1989年福岡大学へ入学した同期生で、大学入学時に2人ともお笑いをやっているサークルに入ろうと探したところ落語研究会しかなく、そこへ所属したことで出会った。勧誘情報には「ゆるい上下関係」とあったがその実態はガチガチの縦社会で、サークルに対しての不満を言い合うなどして親交を深めた[2]

地元のタウン情報誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから2人に「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがある[3]。最初の面接時に会った社長の雰囲気から、2人の本能が絶対に怪しいプロダクションに違いないと訴えかけたためただひたすら逃げる口実を探していたが、面会を重ねる毎にトントン拍子で売り出すパッケージングの形などが決まっていった。どうしても逃げ出したかった2人がたまたま目にした吉本主催による福岡でのお笑いオーディション番組の参加者募集広告を利用して、社長の面会の日に君たちを東京の番組にねじ込むからと言われてから「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです」と懇願して断った。このプロダクションは実は大きな芸能事務所で断った建前上、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたとのこと[2]

吉本興業福岡事務所創設初となるオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に、「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。番組での決勝出場者のうち8組中2位までが合格となり福岡吉本1期生となれる副賞があったが、2人の結果は4位で不合格だった。しかしながら事務所立上げに関し人手が足りないという理由で、優勝したコンビ「ター坊ケン坊」(カンニング竹山田中健二が組んでいたコンビ)のメンバーだった田中経由で福岡吉本から声がかかり、2人とも大学を中退。同年5月に1期生となる[4]

初代吉本福岡事務所長となった吉田武司の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針に則って「華丸・大吉」のコンビ名でのデビューが決まっていたが、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」という理由で更には「さらにめでたい名前をつけよう」という意向から「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と命名された[1]
福岡吉本時代

デビュー時点では深刻なコンビ格差が生じており、『お笑いめんたい子』優勝コンビである「ター坊ケン坊」のター坊としてデビューした竹山と華丸が2トップとして売り出され、福岡吉本1期生総出演の『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ)にレギュラー出演が決まったものの、大吉はフロアディレクターとして見切れる形で出演していた。竹山が1年で福岡吉本を辞めたことで漸く大吉にも出番が回ってくるようになり、大吉は「竹山が上京しなかったら今でも裏方を続けていただろうし売れてもいなかった」と語っている[5]。以降、華丸は福岡吉本の看板芸人として、大吉はMCとしてローカル番組に出演し続け、『夜はとことん』『とことんサンデー』『華丸・大吉の鉄腕ももち』(テレビ西日本)、『今夜も大勉強!』(RKB毎日放送)など多くのレギュラー番組を獲得し、福岡県内で中高生を中心にトップクラスの人気を確立[1]

1995年に『めちゃ2モテたいッ!』(フジテレビ)において「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降2組は親交を深める。なお、当時の華丸・大吉は司会やMCが主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった[6]

1997年、『とことんサンデー』においてテレビ西日本が福岡吉本の了承を得ないまま大吉を1年間アメリカに留学させ、随時番組でその模様を追いかける企画を番組上で発表した。しかし吉本側の了承も無いままの発表だったため、同局と吉本との間でトラブルに発展した。このトラブルの背景には、地元局と福岡吉本の2代目所長だった玉利寛の仲が悪かったことが挙げられる。大吉はこのトラブルが解決するまで1年間自宅待機を強いられ実質の休業、番組も急遽打ち切られた。この休業期間中に大吉はネタを書き溜め、以降のネタ作りはそれまでの華丸中心から大吉中心へ移行した[7][8]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:172 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef