株式会社博報堂
HAKUHODO Inc.
本社が入居する赤坂Bizタワー
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
〒107-6322
東京都港区赤坂五丁目3番1号
赤坂Bizタワー
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分23.6秒 東経139度44分11秒 / 北緯35.673222度 東経139.73639度 / 35.673222; 139.73639
設立1895年(明治28年)10月6日
業種サービス業
法人番号8010401024011
事業内容総合ブランディングサービス
メディアサービス
クリエーティブ
コンテンツ事業
プロモーション
イベント
e-ソリューション
コーポレート・コミュニケーション
代表者代表取締役社長 水島正幸
資本金358億4,800万円
売上高3715億9000万円
(2023年3月期)[1]
営業利益128億4300万円
(2023年3月期)[1]
経常利益281億9200万円
(2023年3月期)[1]
純利益218億9500万円
(2023年3月期)[1]
純資産1663億3800万円
(2023年3月期)[1]
総資産4063億2700万円
(2023年3月期)[1]
従業員数3,698名
(2022年4月1日現在・契約社員含む)
決算期3月31日
主要株主株式会社博報堂DYホールディングス 100%
関係する人物瀬木博尚、瀬木博政、近藤道生、磯辺律男、成田純治、戸田裕一
外部リンクwww.hakuhodo.co.jp
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株式会社博報堂(はくほうどう、英: Hakuhodo Inc.)は、東京都港区赤坂に本社を置く日本の広告代理店である。博報堂DYホールディングス傘下の完全子会社で、博報堂DYグループの1つ。 1895年10月、教育雑誌の広告取次店として設立[2]。廣告社(1888年創業)と並び日本の広告黎明期から活動を続ける広告代理店である。 2003年10月、大広および読売広告社との経営統合により、博報堂DYホールディングスを設立。国内1位の電通と合わせて、広告代理店の二大巨頭という意味で「電博」(でんぱく)と総称されている[3]。しかし近年は、大規模な海外広告会社を傘下に加えている電通との差は広がりを見せている。 また経営統合に伴い、博報堂・大広・読売広告社のメディア枠仕入れ部門は博報堂DYメディアパートナーズに移管された。 2008年5月、赤坂サカスにある赤坂Bizタワー内に本社を移転。先に移転を完了していた博報堂DYメディアパートナーズとの連携を強めた。その後もグループ企業が赤坂に集結している。 かつてはマッキャンエリクソンと業務提携を行っていた。現在は、オムニコム系列のTBWAとの合弁会社「TBWA\HAKUHODO[注 1]」を東京に設立。
概要
沿革神田錦町の博報堂旧本社テラススクエア
1895年10月 - 瀬木博尚によって創業。社名の由来は、瀬木の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から。
1914年10月 - 本社を神田区錦町に移転。
1924年2月11日 - 株式会社に改組。瀬木博尚、初代取締役社長に就任。
1930年6月 - 新社屋(錦町本館)竣工。
1948年9月 -「博報堂月報」を発刊(のちに「広告」と改題)。
1950年8月 - 株式会社内外通信社博報堂に商号変更。
1955年4月 - 株式会社博報堂に商号変更。
1957年6月 - 得意先ごとのグループ制を採用。AE(アカウント・エグゼクティブ)という概念を導入。
1960年1月 -「博報堂宣言」を発表。
1981年9月 -「生活者の視点に立つ」発想を明示し、博報堂生活総合研究所を設立。
1982年6月 - 松下電器(現・パナソニックホールディングス)のCM「光のメニュー」が、カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞。
1991年5月 -「グランド・デザイン・パートナー」宣言。
1993年6月 - カンヌ国際広告祭で、日清食品・カップヌードル「hungry?モア」篇、「hungry?シンテトケラス」篇でフィルム部門グランプリ。
1995年7月 - 社長の東海林が「3P戦略」と「MD(マーケットデザイン)戦略」を示す。博報堂100周年を記念してロゴが作られた。
2001年10月26日 - 大広および読売広告社との間で、業務提携契約を締結。
2002年5月 -「パワーブランド・パートナー」宣言。
2002年12月2日 - 共同持株会社の設立による経営統合に合意。
2003年6月 - カンヌ国際広告祭50周年記念式典にて特別賞を受賞。
2003年10月1日 - 株式会社博報堂DYホールディングス設立。同社の完全子会社となる。
2008年5月1日 - 本社を赤坂サカス内赤坂Bizタワーに移転。新しいグループマークとロゴを導入。
2014年4月 - 博報堂DYメディアパートナーズとの合同ビジョン制定。
2019年7月 - 新しいVIセンタードットを導入。
2023年2月 -博報堂、READYFORおよびYahoo! JAPAN SDGsと共同で、SDGs視点で商品・サービスの開発を支援するプログラム「Social Booster?
神田錦町の旧本社ビルは1930年竣工(後年増築)、岡田信一郎設計の様式建築であった。2009年には近隣地権者との共同再開発に伴い取り壊されたが、その後、複合ビル「テラススクエア」内に外観が再現された[4]。 期間社長会長 1973年の博報堂関連会社の増資をめぐり、瀬木博政会長が福井純一社長らを不正経理を行ったとして告発。
歴代社長・会長
1895年10月1938年12月瀬木博尚なし
1939年1月1965年12月瀬木博信
1966年1月1972年12月瀬木庸介瀬木博政
1973年1月1975年6月福井純一
1975年7月1983年11月近藤道生
1983年12月1994年1月磯邊律男近藤道生
1994年2月2000年1月東海林隆磯邊律男
2000年2月2003年9月宮川智雄東海林隆
2003年10月2010年5月成田純治宮川智雄
2010年6月2017年4月戸田裕一成田純治
2017年4月現在水島正幸戸田裕一
企業体質
創業者の瀬木家は、現在も博報堂DYホールディングスの大株主である。また、経営トラブルの後に大蔵省(当時)出身の国税庁長官が2代続けて社長となったことがあった。
無借金経営でも知られており、格付投資情報センターの信用格付においてA+を獲得している[5]。自社ビルは所有していない。2008年5月には、芝浦や汐留に分散していたグループを赤坂サカス内赤坂Bizタワーに集めている。また、関連会社の博報堂プロダクツなどは豊洲に集合している。
博報堂のCC(コーポレートコミュニケーション)局の中に、企業の情報危機を管理する部門が存在する。雪印事件を契機として設置された部署であり、クライアント企業で不祥事などの問題が発生した際の、経営陣によるマスコミ対応や消費者対応などをナレッジパッケージとしてクライアントに提供している。
制作陣と賞
大貫卓也をはじめ、箭内道彦や佐藤可士和、佐野研二郎など数多くの著名なクリエイターを輩出(既にこの4人は退社)。
カンヌ国際広告祭でグランプリを2度受賞したことがあるため、2003年にカンヌ国際広告祭事務局から特別賞を贈られている[6]。受賞は広告代理店では世界で7社、アジアでは博報堂1社であり、「クリエイティブの博報堂」とも呼ばれた。その後一時期は広告賞の受賞数が低迷したが、現在では再び盛り返している[7][8]。
1994年、多摩美術大学卒の元アートディレクター、東海林隆が代表取締役社長に就任。現在の博報堂DYホールディングス代表取締役社長・戸田裕一、博報堂DYメディアパートナーズ代表取締役社長・佐藤孝はともに制作局コピーライター出身。
1948年より、広告文化の創造と発展を目的として雑誌『広告』を不定期に出版している[9][10]。
制作に関わった主な作品
アサヒビール「スーパードライ」
フロムエー
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」
サントリー食品インターナショナル(サントリーフーズ)「伊右衛門」
ソニーPlayStation
ガメラ平成シリーズ3部作
Jリーグ
スポーツ振興くじ
Qoo
暴君ハバネロ
KDDI(au)「LISMO」
花王「アジエンス」
花王カワイイをつくる.com
日産自動車
本田技研工業
マツダ
ダイハツ工業[注 2]
としまえん
はねるのトびら×NISSAN
表参道akarium
綾鷹
MidTown Project
チーム・マイナス6%
TAP TOKYO
2005年日本国際博覧会(愛・地球博) - 日立グループ館
日本生命「セ・パ交流戦」
書店アプリサービス 「まいどく」
プレミアムフライデー
ブラックフライデー
イオンカード「欅坂46キャンペーン」
NTT docomo「あなたと未来を変えていく」
2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)
不祥事・諸問題
不正経理問題