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単発(たんぱつ、英語: Single-shot)とは、弾薬を一発だけ保持し、発射するたびに弾を込めなおす必要がある銃の形式である。銃の歴史は、単発(シングルショット)から始まったが、マルチショット
が一般的に採用されるまでに何世紀も掛かっており、その間は単発式が主流の時代だった。単発式の構造はリボルバーや弾倉給弾式の火器よりも単純だという優位性があり、カートリッジ式か否かにかかわらず、ジップ・ガンから高品質な競技銃にいたるまで、現在もなお多くの単発式の銃が数多いメーカーによって生産されている。シャイロー シャープス M1874 ハートフォードモデルと、.50-90シャープス弾カートリッジ以前の時代の銃のほとんどは、単発で前装式(マズルローダー)である。ただし、その末期に登場したサミュエル・コルトのパーカッション式リボルバーのような例外もある。 初期のカートリッジ式のライフルの多くは、単発式を用いるほうが強度があり単純であるため、単発式を採用した。M1863スプリングフィールド・マズルローディング・ライフルの、初期のカートリッジ・コンバージョンで用いられた「トラップドア」あるいはアリン・アクションが良い例である。このコンバージョンは、銃身の後端を削り取った後、蝶番(ヒンジ)式のボルト、つまり「トラップドア」を取り付けたものである。「トラップドア」を跳ね上げて前に動かすと、薬室にカートリッジを装填できる。装填したら、ボルトを閉鎖して、弾を所定の位置に安全に固定する。ボルトの中には撃針があるが、この撃針には既存のパーカッション・ハンマーが使われるので、発火機能は変更しなくてよい。発射した後、ボルトを開くと、発射済みの薬莢が薬室から少し抜き出され、外に排出できるようになる。1866年、アメリカ合衆国では.50-70ガバメント弾を標準化し、南北戦争で使われたマスケット小銃(ライフルド・マスケット)の機構を、その弾薬を使用するトラップドア方式に改造した。トラップドアは、引き続きスプリングフィールドM1873小銃に採用され、口径には新規の.45-70弾薬が使用された。スプリングフィールドは1893年まで制式の座にとどまり、その後、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルに更新された。 アリン・アクションのコンセプトに似ているマズルローダー・コンバージョンとしては、ほかに英国のスナイドル銃がある。これは1866年に発表され、前ではなく横に開くものだった。トラップドアを何十年も採用し続けたアメリカ陸軍とは異なり、英国はすぐにスナイドルからより洗練されたドロップ・ブロックの、マルティニ・アクション(これは、ピーボディ・アクションから発展した)に更新した。マルティニ・ヘンリー銃は、ヴィクトリア朝時代後期の英国制式ライフルであり、マルティニ・エンフィールド
カートリッジの時代
ライフル
単発ライフルは、19世紀のビッグゲーム・ハンター(大物狙いの狩人)に好まれた。アメリカ西部のバッファロー・ハンターは、シャープス、レミントン、あるいはスプリングフィールドの単発を使用した。アフリカやアジアで象牙やトロフィーを狙うハンターは、マルティニや、中折れ式の「エクスプレス・ライフル」や「エレファント・ガン」を使用した。これらのライフルは、軍用の.45-70から巨大な.50-140シャープスや.500 ブラック・パウダー・エクスプレスにいたる、きわめて大きな黒色火薬カートリッジ用に設計されており、初期の連発銃はこのような威力と物理的な大きさを持つ弾薬を扱うことができなかった。単発式のビッグゲーム・ライフルは、20世紀初頭に、高速無煙火薬カートリッジの連発ボルトアクションライフルによってのみ置き換えられた。
高威力の連発ライフルが出現した後、単発ライフルは標的射撃競技に使われるようになった。最初の公式な射撃競技大会は、ロングアイランドのクリードモアで、1872年に開催された。1872年ごろからアメリカ合衆国が第一次世界大戦(1917年)に参戦するまで、単発ライフルによる標的射撃は、現代のゴルフと同じように、アメリカで人気を博した。この黄金時代に人気があったのは、ブラード (Bullard)、 スティーブンス (Stevens)、レミントン (Remington)、メイナード (Maynard)、バラード (Ballard)、ファロー (Farrow)、および、ウィンチェスター (Winchester) などであった。