単発_(銃)
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この記事は言葉を濁した曖昧な記述になっています。Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2014年3月)

単発(たんぱつ、英語: Single-shot)とは、弾薬を一発だけ保持し、発射するたびに弾を込めなおす必要があるの形式である。銃の歴史は、単発(シングルショット)から始まったが、マルチショットが一般的に採用されるまでに何世紀も掛かっており、その間は単発式が主流の時代だった。単発式の構造はリボルバー弾倉給弾式の火器よりも単純だという優位性があり、カートリッジ式か否かにかかわらず、ジップ・ガンから高品質な競技銃にいたるまで、現在もなお多くの単発式の銃が数多いメーカーによって生産されている。シャイロー シャープス M1874 ハートフォードモデルと、.50-90シャープス弾
歴史
カートリッジ以前の時代「火器の歴史」も参照

カートリッジ以前の時代の銃のほとんどは、単発で前装式(マズルローダー)である。ただし、その末期に登場したサミュエル・コルトのパーカッション式リボルバーのような例外もある。
カートリッジの時代
ライフル

初期のカートリッジ式のライフルの多くは、単発式を用いるほうが強度があり単純であるため、単発式を採用した。M1863スプリングフィールド・マズルローディング・ライフルの、初期のカートリッジ・コンバージョンで用いられた「トラップドア」あるいはアリン・アクションが良い例である。このコンバージョンは、銃身の後端を削り取った後、蝶番(ヒンジ)式のボルト、つまり「トラップドア」を取り付けたものである。「トラップドア」を跳ね上げて前に動かすと、薬室にカートリッジを装填できる。装填したら、ボルトを閉鎖して、弾を所定の位置に安全に固定する。ボルトの中には撃針があるが、この撃針には既存のパーカッション・ハンマーが使われるので、発火機能は変更しなくてよい。発射した後、ボルトを開くと、発射済みの薬莢が薬室から少し抜き出され、外に排出できるようになる。1866年、アメリカ合衆国では.50-70ガバメント弾を標準化し、南北戦争で使われたマスケット小銃(ライフルド・マスケット)の機構を、その弾薬を使用するトラップドア方式に改造した。トラップドアは、引き続きスプリングフィールドM1873小銃に採用され、口径には新規の.45-70弾薬が使用された。スプリングフィールドは1893年まで制式の座にとどまり、その後、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルに更新された。

アリン・アクションのコンセプトに似ているマズルローダー・コンバージョンとしては、ほかに英国のスナイドル銃がある。これは1866年に発表され、前ではなく横に開くものだった。トラップドアを何十年も採用し続けたアメリカ陸軍とは異なり、英国はすぐにスナイドルからより洗練されたドロップ・ブロックの、マルティニ・アクション(これは、ピーボディ・アクションから発展した)に更新した。マルティニ・ヘンリー銃は、ヴィクトリア朝時代後期の英国制式ライフルであり、マルティニ・エンフィールド・コンバージョンは、第二次世界大戦まで、第二線部隊に配備されていた。

単発ライフルは、19世紀のビッグゲーム・ハンター(大物狙いの狩人)に好まれた。アメリカ西部のバッファロー・ハンターは、シャープス、レミントン、あるいはスプリングフィールドの単発を使用した。アフリカやアジアで象牙やトロフィーを狙うハンターは、マルティニや、中折れ式の「エクスプレス・ライフル」や「エレファント・ガン」を使用した。これらのライフルは、軍用の.45-70から巨大な.50-140シャープスや.500 ブラック・パウダー・エクスプレスにいたる、きわめて大きな黒色火薬カートリッジ用に設計されており、初期の連発銃はこのような威力と物理的な大きさを持つ弾薬を扱うことができなかった。単発式のビッグゲーム・ライフルは、20世紀初頭に、高速無煙火薬カートリッジの連発ボルトアクションライフルによってのみ置き換えられた。

高威力の連発ライフルが出現した後、単発ライフルは標的射撃競技に使われるようになった。最初の公式な射撃競技大会は、ロングアイランドのクリードモアで、1872年に開催された。1872年ごろからアメリカ合衆国が第一次世界大戦(1917年)に参戦するまで、単発ライフルによる標的射撃は、現代のゴルフと同じように、アメリカで人気を博した。この黄金時代に人気があったのは、ブラード (Bullard)、 スティーブンス (Stevens)、レミントン (Remington)、メイナード (Maynard)、バラード (Ballard)、ファロー (Farrow)、および、ウィンチェスター (Winchester) などであった。競技会でこれらのライフルの口径として使われたのは、.25/20にはじまり、.32/40、.33、.35、.35-55、.38-55、.40-50、.40/70、そして、クリードモアにおける600ヤード(約550メートル)以上の射撃に使われる多くの.44(.44/105、.44/77など)まで様々だった。

しかし、2つの口径が、単発の時代の最後まで生き残った。.32-40と.38-55である。このスポーツを始める時、もっとも下の標準は、200ヤード(182.22メートル)の立射(オフハンド・ポジション)である。これにはライフルスコープ、ベンチレストは使わず、伏射(前向きに横たわる)の姿勢もとらずに射撃する。有名なライフル銃身職人のハリー・メルヴィル・ポープ(1861?1950)は、「(動物のように)後ろ足で立って、人間のように撃つ」と評している[1]。.32-40 と .38-55は、射程200ヤードでは風に左右されず、重い反動で射手を疲れさせることもなく、高い精度を維持できた。しかし、最終的には、.32-40の単発ライフルが競技射撃者に支持された。.38-55の反動は、競技中に何百発も発射すると、代償を要求したからである。

1878年、ジョン・ブローニングは、それまでに生産された中で、ほぼ間違いなく最高の単発ライフルの特許を取った。ブローニングはこの設計をウィンチェスターに売却し、これがウィンチェスター M1885単発ライフルになった。M1885の生産数は20万丁以下だったが、1885年から1920年まで生産された。

レミントン、シャープス、および、ブローニングは、いずれも単発ライフルを製造したが、異なる装填機構(ローリングブロック・アクションやフォーリングブロック・アクション)を採用していた。

これらのライフルの口径は、もともとは.50-110のような大きな黒色火薬カートリッジで、大物(バイソンのことも多かった)を狩るのに用いられた。その後、生産されたライフルは、.39-40 Kragのような、人気のある無煙火薬カートリッジに変わっていった。

単発ライフルは、レバーアクション・ライフルとしばらく共存していたが、信頼性の高いボルトアクション・ライフルの出現によって、次第に製造されなくなっていった。
ピストル

単発ピストルはあまり一般的ではない。リボルバーはカートリッジ式の武器が出現してからかなり熟成された技術であり、有名なモデルには様々な口径がそろっているからである。かつて存在した形式は、ほぼ二種類に分類できる。単発デリンジャーと、ターゲット(標的)・ピストルである。これは、本質的には、単発ライフルのアクションをピストルの大きさに切り詰めたものである。レミントンのローリングブロックは、このような銃の例としてよく知られている。単発ライフルの衰退にともなって、これらの初期の単発ピストルも衰退していった。

1907年、拳銃弾を使う安価な中折れ式単発ライフルを製造していたJ・スティーブンス・アームズでは、こうしたものの拳銃版の製造を始めた。このピストルの口径は.22ロングライフルで、調整可能なアイアン・サイトと、標的射撃用に設計されたグリップがついていた。
ショットガン

シングルバレルのショットガンは、ダブルバレル・ショットガンの安価な代用品として人気があった。単発ショットガンは、ほぼすべて中折れ式で、ダブルバレル・ショットガンの設計と似ていたが、並行する銃身の向きを正確にあわせる必要はないので、かなり安価だった。また、単発ショットガンは非常に軽く、反動をより強く感じるとしても、狩猟に持っていくのに都合がよかった。単発ショットガンは、ショットガンを使うスポーツにはあまり使用されない。ほとんどの大会では、素早く二発撃つ必要があり、単発式の場合は、標的が空中にある間に再装填しなければならないからである。これらのシンプルなショットガンは、自衛用の武器としては安価なので、"kitchen door gun"(台所の扉の銃)や "farm gun"(農場の銃)と呼ばれることもあった。
単発カートリッジのアクション
トラップドア・アクション

最も初期のメタリック・カートリッジ・ブリーチローダー(金属薬莢の弾薬を使う後装式の銃)は、軍の要求によって設計され、前装式のマスケット小銃の改造から始まった。これは銃身の末端の上面を削り、装弾するときに上に開くことができる蝶番式のブリーチブロックを取り付けたものである。ライフルの既存のサイド・ハンマーは、角度のついた内蔵式の撃針を使うことで、再利用された。こうした銃のうち、アメリカ合衆国のスプリングフィールド工廠で作られたスプリングフィールド M1865は、前方に開く型式を採用した。イギリス軍のスナイドル・エンフィールド銃は横に開くものであった。イギリスではスナイドル銃を、すぐにドロッピング・ブロックのピーボディに似たマルティニ・アクションに置き換えたが、アメリカ陸軍はトラップドア・アクションで十分と考えており、マズルローダー・コンバージョンに続いて新製品のスプリングフィールド M1873を採用した。これはインディアン戦争で主な小銃として使われ、一部の部隊は米西戦争まで装備していた。

トラップドア・アクションは、ほかに、希少なオーストリアのヴァンツル銃、ベルギーのアルビーニ・ブレンドリン銃 やテルッセン銃コンバージョン(その中のいくつかは、フレンチ・パターン・フリントロック M1777から作られた)、スイスのミルバンク・アムスラー M1842/59/67、スペインのバーダンM1859/67、コルトが製造したロシアのバーダン・タイプIなどがあった。


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