単一民族国家
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単一民族国家(たんいつみんぞくこっか)とは、ある国家において、特定の民族のみで滞在人口の95%以上(国家内の他民族比率が累計5%未満)を占めている国。滞在人口の中で、最多民族以外の他民族らの合計が5%以上を占める国は「多民族国家(多人種・多文化国家)」に区分される[1][2][3]
区分基準・単一民族国家の例

移民や難民の流入がある時代のため、国内に居住する全ての人間が全て一民族だけという意味での単一民族国家は世界に存在しないものの、OECDなどは、同一民族の割合だけで全人口の95%以上を占める国家は、単一民族国家に区分している[1][2]
各国の事情
中国

過去には五胡十六国など、漢民族以外の少数民族が中国を支配していた時期もある。これらのうち、自らの文化を保持したまま中国を支配した王朝に関しては征服王朝と呼ばれるが、漢民族の文化を進んで取り入れ同化していった王朝に関しては浸透王朝と呼ばれる。

中華民族の用語の起源は章太炎が漢族を表す新しい民族名として提唱し、袁世凱が外蒙古独立時に「外蒙古は数百年家を共にした中華民族のものである」と言って使用し、孫文1912年に自身が発表した漢満蒙回藏五族共和説を基に、「よく五族共和と言うが、中国はこの五つの民族だけか? 私が言いたいのは、中国内全ての民族を同化して一つの中華民族を作り上げなければいけない。中国の民主主義はその後完成する。」と言って使用した。現在「中華民族」と言う概念は中華人民共和国の行政や漢民族の多くの愛国者によって国家思想として支持されている。

中華人民共和国は主要民族である漢民族と55の少数民族から構成されている多民族国家として成立した。民族識別工作により、誰がどの民族に属するかを行政的に確定させているが、中華人民共和国国籍を持つ全ての文化的集団(エスニック・グループ)を統合した政治的共同体(ネーション)として中華民族(ちゅうかみんぞく)という言葉が使われる。これには漢民族だけでなく、モンゴル族チベット民族ウイグル人などの少数民族も含む。「中華民族は一体である」とされる場合が多いが、しかし中華とは自己を世界の中心とする意識の表現の下、漢民族が自らを表現する概念であり、「黄河は中華民族の揺り籠」「中華民族は炎黄子孫」など、「中華民族=漢民族」を前提する定義が使われることもある。また、中国国民党も同様で、現在のモンゴル国までを中華の領域としていた。

漢民族が圧倒的に権力を握っている一方、少数民族には上級学校への優先的な進学、公務員採用の優先などの優遇策もとられており、漢民族以外の人々は、一人っ子政策の適用外とされているため、2人以上の子をもうけるために漢民族の血をひきながら少数民族として登録する人々も少なくないという。満州族など優遇を受けるため漢民族から登録を変更しているために、満州語を話せる満州族は少数にもかかわらず見掛け上の人口増加率が大きいという例もある。
日本

かつては、九州隼人東北エミシ、各地の土蜘蛛などが存在した。エミシは9世紀までに現在の岩手県まで征服されたが、その後全てのエミシが許されて東北に帰還した。9世紀には秋田のエミシが大規模な反乱を起こしたが平和裡に集結した。このように古代においてエミシは滅んでいない。エミシは鎌倉時代の初めにおいてもしばしば登場し、和人と異なる民族意識は中世未だ継続した。しかし中世には和人化が進み、近世にはエミシ意識は歴史意識に限られるようになり現在に至る。現在では和人が日本の人口の大多数を占める。「一民族、一国家、一言語の日本」などの類の発言は政界や言論界で、保守的な論客から時折語られ、騒動となることがある。

国民全体からすると極めて少数(北海道に23,000人程度、全人口の0.018%とされる)ではあるが北海道には先住民族であるアイヌが存在する(現在アイヌは北海道だけでなく首都圏などにも多く移住しているが、北海道以外の統計はない)。また、日本政府は別民族であるとは認めていないが、かつての琉球王国が存在した沖縄県を中心に琉球民族が存在するとの見解もあり、国連人種差別撤廃委員会から先住民族としての権利を保護すべきであるとの勧告を受けている[4][5]。ただし、自民党系議員などからは「中国による民族分断工作」と反発する声が強い[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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