南雄州(なんゆうしゅう)は、中国にかつて存在した州。宋代から民国初年にかけて、現在の広東省南雄市一帯に設置された。
概要に別の雄州があったことから、北宋により広東の雄州は南雄州と改称された。1120年(宣和2年)、保昌郡の郡号を受けた。南雄州は広南東路に属し、保昌・始興の2県を管轄した[1]。
1278年(至元15年)、元により南雄州は南雄路総管府と改められた。南雄路は江西等処行中書省に属し、保昌・始興の2県を管轄した[2]。
1368年(洪武元年)、明により南雄路は南雄府と改められた。南雄府は広東省に属し、保昌・始興の2県を管轄した[3]。
1806年(嘉慶11年)、清により南雄府は南雄直隷州に降格され、保昌県が廃止された。1811年(嘉慶16年)、南雄直隷州は南雄府にもどされた。1812年(嘉慶17年)、再び南雄府は南雄直隷州に降格された。南雄直隷州は広東省に属し、始興県1県を管轄した[4]。
1912年、中華民国により南雄直隷州は廃止され、南雄県と改められた。
脚注^ 『宋史』地理志六
^ 『元史』地理志五
^ 『明史』地理志六
^ 『清史稿』地理志十九
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