南長野
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この項目では、長野県長野市北部の大字明治期の旧長野町南部)について説明しています。

長野市南部の南長野運動公園などがある地域(篠ノ井川中島など)については「長野市#地域 」をご覧ください。

長野市中御所一丁目にあった善光寺白馬電鉄の駅については「南長野駅」をご覧ください。

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日本 > 長野県 > 長野市 > (本庁)第四地区 > 南長野

日本 > 長野県 > 長野市 > (本庁)第五地区 > 南長野

南長野
大字
長野県庁本館妻科
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度39分4.64秒 東経138度10分52.41秒 / 北緯36.6512889度 東経138.1812250度 / 36.6512889; 138.1812250
日本
都道府県 長野県
市町村 長野市
地区長野第4・第5地区
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号通称町名ごとに設定
市外局番026
ナンバープレート長野
※座標は長野県庁付近

南長野(みなみながの)は長野県長野市市街地西部にある地域(大字)。

後述の9町が属しているが、長野市街地内の町(通称名)については住所表示の際に「大字南長野」を省くことが多く、郵便番号もそれぞれ単独で与えられている[1]。また、町名(通称名)のほか「幅下」「十念寺裏」といった小字があるが、これらは原則用いない(省略する)ことが長野市の慣例となっている。つまり、長野県立大学後町キャンパス近くの住所を例にとると以下の3通りの表し方がある。

長野市大字南長野西後町*** - *- 慣例による(大字を省略しない)表記

長野市西後町*** - *- 慣例による(大字を省略した)表記。最も一般的

長野市大字南長野字十念寺裏***番地*- 登記などに用いる表記

しかしながら、例えば長野県は長野県庁舎の住所を「大字南長野字幅下」と表記しており(慣例に従うならば「大字南長野妻科」または「妻科」)、混乱に拍車をかけている[2]

北石堂町・南石堂町・末広町は長野市役所(本庁直轄)第五地区、そのほかは第四地区の管内である。
概要

南長野は、長野市街地を構成する3大字の一つである。

西端を裾花川が流れ、南端に信越本線北陸新幹線が通り、長野駅が置かれている。地域のほぼ中央を昭和通り国道19号)が東西に横切り、西端を県庁通り(国道19号・県道)、東端を中央通り(市道)が南北に走る。地域内には裾花川から分かれた鐘鋳川(鐘鋳堰=かないぜき)・北八幡川・南八幡川・古川・計渇川(けかちがわ)・宮川といった用水が曲がりくねりながら流れ、市街地善光寺平に潤いをもたらしている。周囲は以下の大字・町丁と接する。

新諏訪 - 大字西長野 - 大字長野
大字平柴大字鶴賀
南千歳
   大字南長野   

大字中御所 - 中御所大字栗田

古くは、北国街道善光寺表参道)に沿った石堂町後町などは善光寺町の一部として町場化していたものの、それより西の現在の県町妻科などはまだ農村であった。しかし明治に入り、1874年(明治7年)に(旧)長野県庁舎が西長野に置かれると、隣接する当地域も次第に市街地化し、旭町県町といった町が新たに発足した。さらに1888年(明治21年)には、当地域の南端に長野駅が開業し、末広町が新たに発足。長野市の市街地・繁華街善光寺周辺から徐々に南進していった。

現在の南長野は、1913年大正2年)に妻科へ移転した長野県庁舎を中心に県庁通り沿道が官庁街となっている一方、長野駅を中心に中央通り沿道に繁華街が広がる。しかし繁華街は次第に東に接する鶴賀南千歳町など)へ移りつつある。

前述の通り地域内には6つの用水が曲がりくねりながら流れているが、その多くは暗渠となり、その上が小路になっている。そのため、碁盤目状の区画の善光寺周辺に対して、当地域(特に南部)では曲がりくねった小路が入り組み、町の区画が複雑になっている。こうした入り組んだ小路・路地、また町の中を流れる小川を観光資源とする構想があり、2008年平成20年)には第6回全国路地サミットが長野市内で開かれた。
沿革
旧南長野町の歴史


鎌倉時代 - 現在の後町付近に、信濃国国衙が置かれていた

江戸時代 - 前身の妻科村は、松代藩領であった

1876年明治9年)7月 - 水内郡妻科村石堂町に、朝陽学校(現:長野市立後町小学校)が開校。のち後町に移転

1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。妻科村は上水内郡に属する

1881年(明治14年)6月24日 - 上水内郡妻科村が南長野町となる

1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道直江津線(→信越本線しなの鉄道北しなの線)の関山?長野が開業。南長野町と栗田村との境に長野駅が置かれる

1889年(明治22年)4月1日 - 上水内郡南長野町、同郡西長野町鶴賀町茂菅村とともに同郡長野町に編入。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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