南部町_(山梨県)
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なんぶちょう 
南部町
南部の火祭り
日本
地方中部地方甲信越地方
都道府県山梨県
南巨摩郡
市町村コード19366-6
法人番号9000020193666
面積200.87km2

総人口6,500人 [編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度32.4人/km2
隣接自治体南巨摩郡身延町
静岡県静岡市富士宮市
町の木ヒノキ
町の花アジサイ
町の鳥メジロ
南部町役場
町長[編集]佐野和広
所在地409-2102
山梨県南巨摩郡南部町福士28505-2
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度14分32秒 東経138度29分10秒 / 北緯35.24233度 東経138.48606度 / 35.24233; 138.48606 (南部町)座標: 北緯35度14分32秒 東経138度29分10秒 / 北緯35.24233度 東経138.48606度 / 35.24233; 138.48606 (南部町)
南部町役場
外部リンク公式ウェブサイト

■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村

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南部町(なんぶちょう)は、山梨県南巨摩郡の町。山梨県の最南端に位置する。町の中央部を富士川が縦断するように流れる。
概要

陸奥国南部氏の発祥地として知られる。江戸時代には舟運で栄えた。
地理

町の9割近くが森林地帯で、宅地と農地を合わせた比率は4%にも満たない。標高は富士川河岸で150m未満と山梨県では一番低い位置にある[注釈 1]

旧南部町内船上空 画面下部は富士川

旧南部町本郷上空 南部IC建設予定地

旧南部町南部上空 画面左部はアルカディア南部総合公園

地形

西側に十枚山篠井山などの身延山地、東側に思親山などの天子山地に挟まれ、そのほぼ中央に富士川が流れる。
山地
主な山地


天子山地

主な山


十枚山

篠井山

思親山

貫ケ岳

河川
南部町内を流れる主な河川(距離順)

河川名長さ
佐野川18.8km
富士川16.0km(地内)
福士川10.0km
戸栗川7.8km
内房境川4.3km(地内)
船山川3.1km

気候

静岡県に近いことから平均気温は15度と温暖で、また降水量も年間2,500mm以上と多い。

南部(1991年 - 2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)18.1
(64.6)25.1
(77.2)27.8
(82)29.9
(85.8)33.5
(92.3)38.1
(100.6)37.9
(100.2)38.9
(102)38.1
(100.6)32.5
(90.5)27.3
(81.1)25.3
(77.5)38.9
(102)
平均最高気温 °C (°F)10.3
(50.5)11.5
(52.7)14.6
(58.3)19.9
(67.8)24.1
(75.4)26.5
(79.7)30.1
(86.2)31.8
(89.2)28.3
(82.9)22.8
(73)17.5
(63.5)12.5
(54.5)20.9
(69.6)
日平均気温 °C (°F)3.6
(38.5)5.0
(41)8.5
(47.3)13.6
(56.5)18.2
(64.8)21.6
(70.9)25.3
(77.5)26.4
(79.5)23.0
(73.4)17.4
(63.3)11.3
(52.3)5.9
(42.6)15.0
(59)
平均最低気温 °C (°F)?1.1
(30)?0.1
(31.8)3.3
(37.9)8.2
(46.8)13.4
(56.1)17.9
(64.2)21.8
(71.2)22.7
(72.9)19.4
(66.9)13.6
(56.5)7.1
(44.8)1.3
(34.3)10.7
(51.3)
最低気温記録 °C (°F)?7.1
(19.2)?8.5
(16.7)?4.9
(23.2)?1.2
(29.8)3.6
(38.5)11.1
(52)14.5
(58.1)16.4
(61.5)10.8
(51.4)3.8
(38.8)?2.1
(28.2)?5.9
(21.4)?8.5
(16.7)
降水量 mm (inch)92.6
(3.646)106.5
(4.193)204.3
(8.043)204.1
(8.035)214.2
(8.433)251.1
(9.886)294.6
(11.598)248.0
(9.764)403.5
(15.886)299.4
(11.787)148.0
(5.827)92.1
(3.626)2,558.2
(100.717)
平均降水日数 (?1.0 mm)5.46.210.59.810.412.512.310.711.610.77.75.6113.3
平均月間日照時間178.6163.3159.4173.0170.6117.1128.0165.3125.1131.6150.5171.51,833.9
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[1]

地域
旧南部町


睦合(むつあい)地区 - 旧
睦合村

中野(なかの) - 旧中野村

本郷(ほんごう) - 旧本郷村

南部(なんぶ) - 旧南部村

成島(なるしま) - 旧成島村

塩沢(しおざわ) - 旧塩沢村

大和(おおわ) - 旧大和村


栄(さかえ)地区 - 旧栄村

上佐野(かみさの) - 旧上佐野村

下佐野(しもさの) - 旧下佐野村

内船(うつぶな) - 旧内船村

井出(いで) - 旧井出村

十島(とおしま) - 旧十島村


旧富沢町


富沢(とみざわ) - 旧富沢町

旧富河村


富河(とみかわ)地区 - 旧富河村

楮根(かぞね)

福士(ふくし)


旧万沢村


万沢(まんざわ)地区 - 旧万沢村

人口


南部町と全国の年齢別人口分布(2005年)南部町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 南部町
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

南部町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体・行政区
山梨県


南巨摩郡身延町

静岡県


静岡市葵区清水区

富士宮市

歴史※ここでは旧南部町域を主体に記述している。旧富沢町域については富沢町#歴史を参照。
古代から南部氏統治時代南部氏の祖である南部光行富士川の戦い後に南部郷を領し、奥州合戦まで統治していた。

古代律令制下では富士川右岸が巨摩郡河合郷に、左岸が八代郡河合郷に比定される。

平安時代末期には甲斐源氏の一族加賀美遠光の三男光行が南部郷に進出して南部氏の祖となり、睦合地区には居館跡とされる南部氏館跡がある。また、鎌倉時代には光行の子実長が波木井に居を構え、日蓮の弟子となり日蓮を身延に招聘した。栄地区では鎌倉時代の武将で鎌倉北条氏の一族・名越氏に仕え、日蓮を崇拝していた四条頼基が内船の地を与えられた際内船寺を建立し、付近にあった温泉を内船温泉として開湯している。

平安時代末期の奥州合戦の頃に光行ら南部氏は奥州に侵攻しそのまま土着した三戸南部氏(南部氏宗家)と甲斐国に留まっていた甲斐南部氏(のちの一戸氏)・根城南部氏(波木井氏、のちの八戸氏)とで別れ、鎌倉時代末期には甲斐・根城が鎌倉幕府側についたのに対し三戸は幕府討伐側につき、鎌倉幕府が倒れた後の南北朝時代になると甲斐・根城は南朝方に与していたが、1392年元中9年または明徳3年)の南北朝合一(明徳の和約)により甲斐・根城は北朝方であった三戸に帰順する形で奥州陸奥国に転封し、南部氏による河内領統治は終焉を迎えた。
穴山・徳川氏統治時代

南部氏代わって北朝方であった甲斐守護武田氏の一族穴山氏が河内領へ進出し室町期に統治を行った。穴山氏は当初南部を拠点とし武田方であったが、戦国初期の穴山信風の頃に駿河国今川氏に帰属し、南部も今川方の領地となっている。その後武田信虎の甲斐国統一政策による河内侵攻により再び武田方となり、信風の子・信友の時代には武田氏の甲斐国平定と甲駿同盟の成立により本拠を南部から下山(身延町)移転する(但し、信風の代に今川の甲斐侵攻政策により移転していた説あり)が南部が重要拠点であることには変わりなく、信友の子・信君の頃に駿州往還の拠点として南部宿が成立し、武田信玄による駿河侵攻後は伝馬制の中継点として、信君が徳川氏に従順して徳川領となり江戸幕府が成立した後は身延山参拝および駿河から甲斐への流通のための宿場町となる。同じ時期に富士川水運の中継や駿州往還の脇街道である東河内路の拠点として内船も発展し、睦合(南部)と栄(内船)を結ぶための渡し舟も設けられている。近世には11か村が成立し、富士川西部が巨摩郡西河内領に、東部が八代郡東川内領に属した。全村が幕府直轄領甲府藩領、再び直轄領に変遷し、上飯田代官から市川代官支配となる。
明治期から昭和の大合併まで

明治時代の1878年(明治11年)に郡区町村編制法が設定され、南部を主とした睦合地区は南巨摩郡、内船を主とした栄地区は西八代郡に属するようになる。1889年(明治22年)の町村制によって睦合地区は睦合村、栄地区は栄村として単独自治体が成立した。睦合村では近藤喜則が南部宿の陣屋であった南部本陣跡地に私塾である「蒙軒学舎」を開き、宣教師チャールズ・イビーを招くなどして地域の教育の向上を図った。

睦合村は駿州往還による馬車運輸や徒歩運輸、栄地区は富士川水運が維持され互いに独自の発展をしていたが、大正になると富士川沿いに甲駿鉄道計画の話が持ち上がり、睦合側を通過する甲駿軽便鉄道と栄側を通過する富士身延鉄道(現在の身延線)との誘致合戦になるが富士身延鉄道側による鉄道敷設が採用され、1918年(大正7年)に富士側から延伸してきた南部内船駅(現在の内船駅)まで開業。1920年(大正9年)には身延山の最寄駅である身延駅まで、1928年昭和3年)には山梨県庁がある甲府駅まで延伸し、それに伴い富士川水運が廃止されたが自動車運輸はまだ未発達であったため町内の交通の要所はこれまでの睦合側から栄側へ移動した。一方で睦合側から内船駅を利用する目的のため1932年(昭和7年)に南部橋が架橋されると両地区の結びつきは強くなり、第二次世界大戦後に実施された昭和の大合併によって両地区の村は1955年昭和30年)4月1日 に合併し、南巨摩郡に属する形で(旧)南部町が発足した。
(旧)南部町時代

なんぶちょう
南部町
廃止日2003年3月1日
廃止理由新設合併
南部町(旧) 、
富沢町 → 南部町 (新)
現在の自治体南部町 (新)
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方甲信越地方
都道府県山梨県


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