南蘋派
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沈南蘋筆 雪梅群兎図 康煕55年(1716年)橋本コレクション

沈 南蘋(しん なんびん、康熙21年(1682年) - ?)は、中国清代の画家。1731年 (享保16年) 来朝、長崎に2年間弱滞在し写生的な花鳥画の技法を伝えた。弟子の熊代熊斐らが南蘋派を形成。円山応挙伊藤若冲など江戸中期の画家に多大な影響を及ぼした。

名は銓。を衡之または衡斎。南蘋は。中国本国では沈銓として知られる。浙江省湖州市徳清県の人。
目次

1 略歴

2 日本への影響

3 代表作

4 南蘋派

5 南蘋派画系図

6 中国の弟子

7 脚注

8 出典

9 関連項目

略歴 沈南蘋筆 丹鳳朝陽図 雍正13年(1735年)

沈南蘋は胡?に就いて画を学び、彩色花鳥画や人物画を得意とした。絹織物商だった南蘋の父は、息子を連れて胡?の家に行くたびに、彼の描く様子を傍らで見続け立ち去らない南蘋の姿を見て、胡?に入門させたと「當湖歴代画人伝」は伝えている。

宮廷画家として清朝に使えていたが、徳川吉宗の施策により徳川幕府から招聘を受け、享保16年(1731年)12月長崎に弟子の高鈞と高乾を伴い来日、1733年9月に帰国するまで唐館内に滞在する。吉宗は絵画を好み、特に室町時代から伝統的に武家に愛好された時代の絵を欲した。そこで中国でこうした名画やその正確な粉本を入手してくるよう命じたが、宋元時代の名画は中国でも秘蔵され入手が極めて困難だったため、今度は中国画人を呼び寄せて宋元画に近い絵を描かせようと考えた。清朝側が南蘋を選んだ理由は、幕府の役人が来舶清人から南蘋の名を聴き招いたという説が有力だが、当時の文人画が主流の中国のなかで、宋代画院以来の鉤勒描法に没骨法を加味した保守的な画風の南蘋が最も宋的な画人と見做されたためだと考えられる。

中国の画論書が「設色妍麗」と評する精緻で華麗な彩色画は、たちまち評判となった。南蘋の直弟子は唐通事の熊代熊斐だけだったが、熊斐を通じてその技法を学んだ者が南蘋派を形成し、江戸中期の日本画壇に大きな影響を及ぼした。南蘋帰国後もその人気は衰えず、度々輸入された。吉宗も南蘋の濃彩画を気に入ったらしく、沈銓帰国後に南蘋画を輸入させた際、薄色や墨の画を差し戻したという逸話が残る。南蘋が死亡した年は不明だが、作品の款記により1760年までは存命したことは分かっている。
日本への影響

当時、主流であった狩野派の画風は硬直化し魅力の乏しいものになっていた。南蘋派の画風はこの停滞感を刷新する新しい気風をもたらし、円山応挙伊藤若冲与謝蕪村渡辺崋山司馬江漢など後の大家の画風に大きな影響を与えている。また、将軍吉宗が呼び寄せ気に入られたという経緯から武家に好まれ、増山雪斎松平定信酒井忠以など南蘋風の絵を残した藩主も散見する。一方、沈南蘋が画工(職業画家)であったことから、桑山玉洲中山高陽文人気質の強い画家は批判的な姿勢を示している。沈南蘋筆と伝わる作品は多いが、同一人物の筆とは認め難い作品が混じり、基準作が決め難い。そのため同一人物の作とは認め難くとも、取り敢えず南蘋風の作品を沈南蘋作品として扱っているが、その中でも画風の違いを選別する研究も進みつつある。
代表作

作品名技法形状・員数寸法(縦x横cm)所有者年代落款・落款備考
雪梅群兎図絹本著色橋本コレクション1716年
桑名鉄城旧蔵で、彼による中国からの将来品。
群鹿図絹本著色・紙本墨画六曲一隻屏風法人1725年
老圃秋容図静嘉堂文庫1731年
梅花双兎図絹本著色1幅静嘉堂文庫1731年
雪中遊兎図絹本墨画著色1幅泉屋博古館1737年
秋渓群馬容図絹本著色1幅66.3x71.8大和文華館1737年原三渓旧蔵品
鶴之図2幅対秋田県立近代美術館1738年秋田県指定文化財。谷文晁筆の箱書きが付属。
群鹿群鶴図絹本着色六曲一双屏風東京国立博物館1739年
雪蕉仙鶴図絹本著色北京栄宝斎蔵1749年上記の「雪梅群兎図」と同筆
麒麟之図絹本著色長崎?史文化博物館 ⇒[1]1749年
百鶴百鹿図(群鶴群鹿図)絹本著色六曲一双屏風出光美術館1750年
花鳥動物図絹本著色11幅153.5x57.4(各)三井記念美術館1750年北三井家旧蔵。11幅という中途半端な員数だが、19世紀前半の複数の史料にも11幅と記されており、この頃から現在の形だった。画風の違いから6幅と5幅の2グループに分けられる[1]
獅子戯児図絹本著色1幅神戸市立博物館1751年
雪中芭鶴図上海博物館1757年
燕掠飛花図絹本著色1幅96.8x47.0黒川古文化研究所画風がやや異なり工房作か

南蘋派

南蘋派(なんぴんは)とは、沈南蘋から直接技法を受けた熊代熊斐(1712年 ? 1772年)とその門人などの画派。写実的な彩色花鳥画に特徴がある。一時かなり流行したが、やがて円山応挙の創始した新しい花鳥画が盛んになるにつれて衰退していった。

熊斐文

熊斐明


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