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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 関東地方 > 東京府 > 南葛飾郡.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目に含まれる文字「葛」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。「葛」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。 東京府南葛飾郡の範囲
郡名はそれまでの武蔵国葛飾郡を埼玉県に属する地域と東京府に属する地域に分けた際、北にあたる埼玉県側を北葛飾郡、南にあたる東京府側を南葛飾郡としたことによる。 南葛飾郡のあった概ねの範囲を、現在の行政区画で記す。すべて東京都に所属。 古代の下総国葛飾郡南部が中世に入って葛西・葛東となり、さらに江戸期の利根川東遷事業によって利根川西岸になったことから武蔵国へ編入された地域を基にする。 内務省地理局が1878(明治11)年頃に編纂した「旧高旧領取調帳」には、6町114村(新田ほか含む)が記載されている(後述)。 知行村数村名
郡域
葛飾区(全域)
江戸川区(公有水面埋立地を除く全域)
墨田区の一部(堤通、東向島、京島、文花以東および押上の一部)
江東区の一部(公有水面埋立地を除く横十間川以東および東陽)
足立区の一部(柳原)
歴史
郡発足までの沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、葛飾郡のうち後の当郡域の支配は以下の通り。幕府領の全域を代官・佐々井半十郎支配所が管轄した。●は村内に寺社領が存在。×は町地(町奉行支配地)と代官支配地の両方が存在。下記の他に請地村上知、新堀村上知、渋江村上知、西小松川村ノ内・網差新田、新宿町新田の記載が見られ、船堀村、宇喜田村を東西2村と数えると、6町114村が存在した。
幕府領幕府領6町
103村●上木下川村、●葛西川村、●小村井村、●隅田村、須崎村、若宮村、木下村、太郎兵衛新田、中田新田、又兵衛新田、砂村新田、八郎右衛門新田、小名木村
幕府領・一橋徳川家3村海辺新田、永代新田、千田新田
幕府領・旗本領1村●下篠崎村
慶応年間に鶴歩町、猟師町が町地に編入。(4町114村)
慶応4年7月10日(1868年8月27日) - 旧幕府代官の桑山効が武蔵知県事に就任。町地を除く後の当郡域を管轄。
明治元年
11月5日(1868年12月18日) - 町地が東京府(第1次)に編入。
12月23日(1869年2月4日) - 桑山効知県事が河瀬秀治に交代。
明治2年
1月13日(1869年2月23日) - 河瀬秀治知県事の管轄区域に小菅県を設置。
3月16日(1869年9月21日) - 50番組制を施行。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、小菅県のうち後の当郡域が東京府(第2次)に移管。
11月28日(1872年1月8日) - 大区小区制を施行。
深川町(のちの深川本村の区域)が古元町、南松代町を編入。(4町114村)
1876年(明治9年) - 地租改正により、町地が起立して以降は飛地となっていた中之郷村、南本所町、北本所町の代官支配地がそれぞれ南本所出村、北本所出村、中之郷出村として、深川町の代官支配地が深川本村、深川出村、六軒堀出村として独立。(1町119村)
郡発足後の沿革
1878年(明治11年)
11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、武蔵国葛飾郡のうち東京府に属する区域をもって南葛飾郡が発足。郡役所が小松川村大字逆井(現江戸川区小松川)に設置。江戸末期の朱引の内を東京府の管轄とし、それ以外を埼玉県の管轄とした。
1.寺島村 2.隅田村 3.吾嬬村 4.大木村 5.亀戸村 6.大島村 7.砂村 8.新宿町 9.立石村 10.亀青村 11.南綾瀬村 12.金町村 13.水元村 14.奥戸村 15.平井村 16.小松川村 17.船堀村 18.松江村 19.瑞穂村 20.一之江村 21.葛西村 22.鹿本村 23.篠崎村 24.小岩村 A.本所区 B.深川区(青:墨田区 紫:江東区 赤:葛飾区 橙:江戸川区)