南海トラフ巨大地震
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この項目では、南海トラフで発生が予測される地震のうち、2011年に設置された南海トラフの巨大地震モデル検討会による検討部分について説明しています。東南海、南海地震等に関する専門家による検討部分(2003年)については「東海・東南海・南海地震」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}主要カテゴリ > 地震 > 連動型地震 > 南海トラフ巨大地震過去の南海トラフ地震の発生年と震源域の場所[注 1]

南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートアムールプレート[注 2]とのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震[2][3]。時に超巨大地震となることもある[4][5]。詳しくは南海トラフ沿いの巨大地震(なんかいトラフぞいのきょだいじしん)と呼ばれる[6][7][8]

また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討を行っている、南海トラフ沿いで発生すると想定[9][10]される最大クラスの地震も南海トラフ巨大地震と呼称され、また南海トラフ地震(なんかいトラフじしん)とも略称され、本項でもそれを基に解説している。
南海トラフの地震の特徴と「地震像」Mw 9.1の最大規模となる南海トラフ巨大地震の想定震源域(2013年、地震調査研究推進本部 地震調査委員会).mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域にわたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、まさに国難とも言える巨大災害になるものと想定される。—中央防災会議、2012年[11]

南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震東南海地震南海地震震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説だった。一方で、1605年慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する[12]。最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。

なお、その後の研究により、地震が起こるたびに震源域は少しずつ異なることがわかった。例えば、同じ南海道沖の地震でも1854年安政南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、1946年昭和南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている[13]。また一方で東京大学地震研究所瀬野徹三は、東海・東南海・南海といった3地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部および東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている[3]

1498年明応地震以降は文献資料が豊富で発生間隔も100年前後で一定していると考えられてきた(下の南海トラフの地震の発生領域(従来説)の図表)。しかし、それ以前は東海道沖の地震の発生記録がほぼないほか、1361年正平地震以前の間隔は記録に欠損があり、例えば13世紀前半と見られる津波や液状化の痕跡は複数の箇所から発見されており、記録を補うものと考えられている一方で、1096年永長地震以前は確かな証拠は無く津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある[14]。液状化跡は内陸局地地震の可能性や推定年代幅の問題もあるため、なおの検討が必要である[15]。他方、地震連動の発生の様子をプレートの相対運動やプレート境界の摩擦特性からシミュレーションする試みもあり、連動性は再現されたが地震発生間隔などが歴史記録と一致しない点もある[16][17]

南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊した地震は規模が大きく、1707年宝永地震は日本最大級の地震とされている。1854年安政地震は昭和地震より大きかったが[18]、宝永地震は安政地震よりさらに大規模であった。例えば須崎(現・高知県須崎市)では安政津波は5 - 6mの地点にとどまっているが、宝永津波は標高11m程度の地点、場所によっては18mの地点まで達した[19]土佐藩による被害報告では安政地震で潰家3,082軒、流失家3,202軒、焼失2,481軒に対し、宝永地震では潰家5,608軒、流失家11,167軒と格段に多くなっている[20]。安政津波で壊滅し亡所となった集落は土佐国で4か所であるが、『谷陵記』に記された宝永津波の亡所は81か所にも及んだ[21]。21世紀に入ってからの研究により、高知県土佐市蟹ヶ池に宝永地震による特大の津波堆積物が見出されたが、この宝永地震と同様に津波堆積物を残す規模の地震痕跡は300 - 600年間隔で見出されることがわかった。さらに、宝永地震よりも層厚の約2,000年前と推定される津波堆積物が見出され、宝永津波より大きな津波が起きた可能性が指摘された[8][22][23]

また、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、スプレー断層(主な断層から分かれて存在する細かな分岐断層)からの滑りをも伴う可能性も指摘され、南海トラフ沿いには過去に生じたと考えられるスプレー断層が数多く確認される[24]。一方、震源域が広いと顕著になる長周期地震動の発生も予想され、震源域に近い平野部の大都市大阪名古屋などをはじめとして高層ビルやオイルタンクなどに被害が及ぶ危険性が指摘されている[25]。これらに関連して、古文書にはしばしば半時(はんとき、約1時間)に亘る長時間強い振動が継続したと解釈できるような地震の記録がみられるが、これは大地震に対する恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もある一方、連動型地震のように震源域が長大になれば破壊が伝わる時間も長くなり、そこからまた別の断層が生ずるなど長い破壊時間をもつ多重地震となって、本震後の活発な余震なども相まって実際の揺れを表現したものとする見方もある[26][27]

以上のように南海トラフにおける海溝型地震は、繰り返し起こる「再帰性」と複数の固有地震の震源域で同時に起こる「連動性」が大きな特徴となっている。さらに、南海トラフは約2000万年前の比較的若いプレートが沈み込んでおり、薄くかつ温度も高いため低角で沈み込みプレート境界の固着も起こりやすく、震源域が陸地に近いので被害も大きくなりやすい[28]


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