座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯90度 西経0度 / 南緯90度 東経-0度 / -90; -0
1. 南極点南極点(なんきょくてん、英: South Pole)とは、自転する天体の最南端に当たる南緯90度地点のことである[1]。ほとんどの場合、地理学上の南極点は自転軸と天体表面が交差する点の内、南側にある1点が南極点である。もうひとつは北極点のことである。
以下本項では特に断りのないかぎり、地球の南極点について述べる。 南極点は南極大陸上に位置し、1956年に建設されたアメリカ合衆国のアムンゼン・スコット基地内にある[1]。 南極点はあくまで地理学的な地点であり、方位磁石のS極が指し示す地磁気の極である南磁極(南緯64.6度、東経138.6度、1997年1月)や、地球磁場を完全な双極子磁場と想定した際にS極に当たる南磁軸極南地磁気極
概要
南極点の地理座標は、緯度であれば単純に南緯90度と与えられる。一方の経度では、表すことができない特異点である極(きょく)に相当する[1]。便宜的に経度を示す場合、南極点の方眼北(グリッド北)はグリニッジ子午線に沿っているとみなし、経度は西経(または東経)0度としている[2]。
地理学上の南極点2000年に設置された南極点の標識ジオグラフィック・ポール。毎年位置が変えられる[3]。訪問者用(観光用)に設置されている南極点のセレモニアル・ポール。年々、実際の南極点とずれてゆく宿命を負っている[3]。
南極点は南極大陸上にある。ただし、大陸移動があるため、地球の歴史において常にそうであった訳ではない。2011年現在それは、最も近い海岸線となるマクマード湾(英語版)から内陸におよそ1,300キロメートル(800マイル)の位置にある。そこには厚さおよそ2,700メートルの氷が大地を覆い、南極点はその氷床の上、標高にしておよそ2,835メートルの位置にある[4]。
しかし、地震などの地殻変動によってジオイドに変化が起こると、自転のモーメントに影響を与え地球の自転軸はぐらつく[5]。これを極運動という。そのため、この定義では厳格には南極点および北極点を固定できない。さらに、南極点の氷床は1年あたり約10メートルの速度でグリッド北37度から40度の方向に移動し[6]、ウェッデル海へ向かっている。よって南極点に何らかの標識を置いても、時間が経つにつれて位置がずれて行くことになる[3]。 以上の理由から、地理学的に定められる実際の南極点は継続的に測定され、毎年元旦に「ジオグラフィック・ポール」という標識が付け替えられる[3][7][8]。ジオグラフィック・ポールは簡単な杭を打って示す。そばにはアメリカ合衆国の星条旗と、添えられた立て看板がある。看板にはロアール・アムンセンとロバート・スコットの業績を讃えて彼らがそれぞれ南極点に到達した日付と短い解説、そして南極点の標高が記されている[9]。過去の標識は観測日を付けて残されるため、氷原に点々と打たれた杭から南極点の移動が確認できる[9]。 実際の南極点標識とは別に、観光用の南極点標識「セレモニアル・ポール」がアムンゼン・スコット基地の脇に設置されている[8]。金属球を上に据えた柱脚状台座の標識は、南極条約の原加盟国である12カ国の国旗で囲われており、南極が人類の共有財産であることを象徴する[8]。実際の南極点とはさほど離れていない[10]。 1911年12月14日に南極点に到達したロアール・アムンセン率いるノルウェー遠征隊によって設営されたテント。現在、南極点付近の雪と氷の下に埋没している。南極条約協議国会議へのノルウェーからの提案により、南極史跡記念物 第1回アルゼンチン内陸極点探検隊(オペラシオン90 南極の発見には諸説あるが、1820年から翌1821年の1月にロシアのファビアン・ベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフ 南極点への行程を探す最初の試みは、1901年-1904年にディスカヴァリー号探検隊に加わったイギリスの冒険家ロバート・スコットによって行われた。アーネスト・シャクルトンやエドワード・A・ウィルソン
ジオグラフィック・ポール
セレモニアル・ポール
史跡・記念物旗竿を設置した後、旗に敬礼するアルゼンチンの兵士(1965年)
アムンセンのテント
アルゼンチンの旗竿
歴史1895年の南極の地図。すでに調査済みの沿岸部はある程度かかれている。しかし内陸部は未知のエリアであった。「南極の歴史」および「最南端到達の歴史」も参照
19世紀
20世紀前半
人類初の南極点到達は、1911年12月14日にノルウェーのロアール・アムンセンの南極点遠征隊によって成し遂げられた。アムンセンは南極点にポールハイム(英語版)というキャンプを張り、南極点周辺の台地を国王ホーコン7世にちなみ「ホーコン7世台地(英語版)」と命名した。ロバート・スコットもまたテラノヴァ号探検隊を組んで再び南極大陸に上陸し、南極点を目指していた。スコットと4人の探検隊が南極点に到達したのは1912年1月17日、アムンセンに遅れる事34日後だった。帰路、飢餓と極寒の中で彼らは全滅した。南極点到達の両者の争いの詳細はそれぞれのリンクを参照。詳細は「ロバート・スコット」および「テラノバ遠征」を参照「ロアール・アムンセン」および「アムンセンの南極点遠征」も参照
1914年にはアーネスト・シャクルトン率いる帝国南極横断探検隊が、南極点を経由する大陸横断の探検に出発した。しかし乗艦したエンデュランス号(英語版)が海氷に閉じ込められ、試みは断念された。その後、長らく陸路横断計画は立案されなかった。詳細は「帝国南極横断探検隊」を参照
1929年11月には、アメリカの海軍少将リチャード・バードが、操縦士バーント・バルヒェン(英語版)の操縦する航空機で、世界で初めて南極点上空を通過した[22]。
20世紀後半アムンゼン・スコット基地。建物の裏手中央やや左にセレモニアル・ポールと12の国旗が見える。南極点であるジオグラフィック・ポールは、数メートル左にある。建物類は積雪に備えて高床になっている。
1956年10月31日にジョージ・J・デューフェク(英語版)を載せたアメリカ海軍の航空機R4D-5Lスカイトレインが着陸し、南極点は人類が訪れない長い空白期間を終えた。この年から翌年の国際地球観測年にかけて、南極点にアムンゼン・スコット基地が建設され、研究者や支援要員の常駐が始まった[4]。
アムンゼンとスコットに次ぐ陸路での南極点到達は、イギリス連邦の南極大陸横断探検(英語版)の一環に当たる1958年1月4日のエドモンド・ヒラリー一行、1月19日のヴィヴィアン・フックス一行が航空機からの支援をうけつつも達成した。その後も、アンテロ・ハボラ、アルバート・P・クレイリー、ラノフ・ファインズ(英語版)ら多くの探検家が南極点への旅を成功させた。
1968年12月19日、日本の第9次越冬隊(隊長・村山雅美)が日本人として初めて南極点に到達した[23][24]。
1987年にはエルスワース山脈内の南緯80度にあるパトリオットヒルズに民間のベースが建設され、南極点への非政府系の遠征が行われるようになった[25]。
1989年12月30日には、アルブト・フックス(英語版)とラインホルト・メスナーが乗り物や動物の助けを受けず、スキーと風力だけで南極点に達した。海岸から支援を受けず徒歩で南極点に到達した例は、2009年にヘラクレス湾 (Hercules Inlet) から33日をかけたカナダのレイ・ザハブ(英語版)、リチャード・ウェーバー、ケビン・バレリーが成し遂げた。これは1か月前にトッド・カーマイケルが達成した39日と7時間の記録を更新した[26]。
到達の歴史
1909年 - アーネスト・シャクルトンが南極点を目指したが180km手前で断念。
1911年12月14日 - ロアール・アムンセン隊が人類初到達。
1912年1月17日(もしくは18日) - ロバート・スコット隊が到達。
1912年1月28日 - 白瀬矗らが日本人としては初めて本格的に到達を目指すが南緯80度5分で断念。
1929年11月28日(もしくは29日) - リチャード・バードが初の南極点上空飛行。
1956年11月 - アメリカが南極点にアムンゼン・スコット基地を建設、南極点に科学者や要員が常駐する様になる。