この項目では、2009年公開の映画について説明しています。2019年放送のテレビドラマについては「面白南極料理人」をご覧ください。
南極料理人
監督沖田修一
脚本沖田修一
原作西村淳
『面白南極料理人』
『面白南極料理人 笑う食卓』
製作太田和宏
『南極料理人』(なんきょくりょうりにん)は、西村淳の著書『面白南極料理人』と『面白南極料理人 笑う食卓』を原作とした2009年の日本映画。主演は堺雅人。第50回日本映画監督協会新人賞最終候補作品。2009年度新藤兼人賞金賞、第29回藤本賞新人賞を受賞。
南極の屋外シーンは真冬の北海道網走市で撮影された。原作者・西村の出身地でもある。基地内部はセットで再現されており、こちらの撮影は東宝スタジオで行われた。 1997年。海上保安庁の巡視船厨房で勤務する主計士・西村淳は、同僚隊員・スズキの代理で急遽、第38次南極地域観測隊のメンバーとして南極大陸のドームふじ基地に派遣された。妻・みゆき、小学生の長女・友花、生まれたばかりの長男を置いての単身赴任で南極にやって来た西村の任務は、冷凍野菜や缶詰などの備蓄食料を使って、ともに越冬する隊員8名分の食事を用意することだった。 ドームふじ基地は、ほかの観測基地から遠く離れた「陸の孤島」であるうえ、標高3,810メートルに位置し、年間平均気温はマイナス54度以下であるため、ペンギンやアザラシといった動物はおろか、ウイルスさえいない壮絶な自然環境であった。貴重な水を得るためには、毎日、外の氷を大量に削り出して溶かす「造水」作業が不可欠であり、節水は絶対的なルールだった。基地の設備は、画像が乱れるテレビ、扉が小さくプライバシーを保てない共同トイレ、日本へ電話するのに1分740円かかるため、時間測定用の砂時計とともに使用される衛星電話など、不便を感じさせるものばかりだった。西村は毎日の食事を工夫し、隊員のストレスを和らげるのに腐心した。 当初は打ち解けなかったドームふじ基地の隊員たちは、かき氷用のシロップを使って氷原にラインを引き野球に興じるなど、遊びを通じて友情を育みつつあったが、極夜の季節になって外での活動が制限されるようになったうえ、夜食の楽しみだった備蓄のインスタントラーメンが底をついた(「ラーメンショック」)のを契機に、ストレスから小さな争いごとや、異常な行動を起こすようになった。そんな中、車両担当の「主任」が不要な頻度のシャワーで水を無駄遣いしていることが明らかになり、激怒した「平さん」と取っ組み合いとなる。止めに入った西村のお守りに入っていた長女の乳歯が氷床コア採集用の深い穴の中に落ちてしまい、落ち込んだ西村は料理作りを放棄して部屋に閉じこもってしまった。残された隊員たちは、おぼつかない腕前でから揚げを作った。二度揚げをせず、衣がベチャベチャのから揚げは西村の妻・みゆきが作るから揚げにそっくりであり、口にした西村は残してきた家族を思い出して号泣する。 ラーメンへの未練が捨てきれない「タイチョー」は、ある日、泣きながら西村にラーメンの作成を懇願するが、備蓄食料の中に、中華麺の製麺に不可欠であるかん水がなく、西村は苦悩する。すると科学者の「本さん」が「かん水はアルカリ性で、主成分はベーキングパウダーと同じのはずだ」と教え、西村は水にベーキングパウダーと塩を加えてかん水の代わりにすることを思いつく。西村はラーメンの自作に成功し、喜んだ隊員たちはオーロラの出現にもかかわらずラーメンをすすり続けた。 赴任期間を終えて帰国し、防寒のために伸ばしていた髪とひげを剃ると、西村は長期間南極にいたことに実感が持てなくなったが、家族で訪れた動物園のフードテラスでテリヤキバーガーをほお張ったところ、思わず「うまっ」と叫び、味覚を通じて極限環境との落差を強く感じたのだった。
ストーリー
登場人物:観測隊員
西村淳
隊員の中で唯一通称がなく、単に「西村くん」と呼ばれている。調理担当隊員。海上保安庁から出向。当初、南極派遣が決まっていた海上保安庁の同僚・スズキが交通事故で怪我を負ったため、代理としていやいや派遣に応じた。生の野菜が食べられないか思案し、厨房内でかいわれ大根やモヤシの苗を育てた。
金田浩
ドームふじ基地観測隊の隊長(クレジットでは「タイチョー」表記)。気象観測担当隊員。気象庁から派遣された気象学者。「僕の体はラーメンで出来ている」と語るほどインスタントラーメンが大好きで、夜な夜な「盆」とともにラーメンを作って食べては、上手く茹でることができずに悩んでいた(ドームふじ基地は富士山並みの3800mの標高があり、水の沸点が昭和基地よりも低く、85度である。そのため乾麺が充分に柔らかくならず、芯が残ってしまう)。このことが「ラーメンショック」の原因となった。最終日に首を寝違えた。
本山秀行
通称「本さん」。雪氷観測担当隊員。国立極地研究所から派遣された雪氷学者。氷床コアの採集を行なう。過去何度も南極で勤務をした経験がある。越冬中に45歳の誕生日を迎えた。その日の夜、衛星電話で自宅に電話をかけたところ、不機嫌な妻が会話を拒否したために落ち込んだが、帰国時は夫婦で抱き合い無事を喜び合った。濃いめの味付けが好みなのか、ぶりの照り焼きにまで醤油をかけて食べる。モデルは国立極地研究所教授の本山秀明。
川村泰士
通称「兄(にい)やん」。雪氷観測担当サポート隊員。大学院生。本さんらとの麻雀で負け続けたことに嫌気が差し、基地を飛び出した。節分の豆まき行事の際に鬼役を担当し、最終的にパンツ一丁の状態で外へ締め出された。日本にいる彼女と衛星電話をするのが楽しみだったが、次第に仲がうまくいかなくなって振られてしまったときも、基地を飛び出した。