南極の宗教
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グリトビケンにある教会

南極の宗教(なんきょくのしゅうきょう、: Religion in Antarctica)では、南極における宗教について述べる。

南極には、様々な崇拝するための場所(Place of worship)があり、祭祀と宗教建築を建てることへの需要が増大している。below 40 degrees south there is no law; below 50 degrees south there is no God[1]
(40度以南に法はなく、50度以南に神はない)

南極大陸の宗教構成[2].mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  キリスト教 (70.8%)  無宗教 (24.1%)  イスラム教 (3.1%)  ヒンドゥー教 (1.2%)  仏教 (0.5%)  その他 (0.4%)

という名言があるにもかかわらず、南極大陸の探検は実際には多くの信者 (例:Jesuit geophysicists)からの宗教活動による寄付と密接な関係があった。いくつかの初期の宗教建築物は重要で歴史的な記念建築物として保護されている。
初期エバンス岬にある十字架

エバンス岬のWind Vane Hillにある十字架は、アーネスト・シャクルトンによって1914年から1917年まで活動した帝国南極横断探検隊の内の一隊であるイニーアス・マッキントッシュ率いるロス海支隊によって、死亡した3人の隊員を記念するため、その付近に1916年に立てたものである。この十字架は、ニュージーランドとイギリスが南極条約協議国会議へ提案したことにより、南極史跡記念物のHSM 17に指定されている[3]

南極初の完璧な祭祀は、1947年にアメリカ海軍の少佐(Lieutenant Commander)であるWilliam Mensterによってハイジャンプ作戦の最中に行われた[4]。設営されたテントの中で、キリスト教の祭祀が行われ、その中で彼は南極大陸を奉献した。彼が世界的な祭祀を主導することができるよう、様々なキリスト教の宗派からおおよそ2,000人が仕えた。

雪の聖堂は、大抵はChristian worshipに使われるが、仏教バハイ教の儀式に使われたこともある。チリのCaptain Arturo Prat基地にある木製の十字架とOur Lady of the Carmelの像のように、いくつかの建築物は歴史的に重要で保護されている史跡にかこまれている[5]。 興味深い点としてムスリムの不都合がある。パキスタンの計画によりJinnah Antarctic基地へムスリムが来たものの、大陸と離島を含めた南極にはモスクが一つもなく、ムスリムの要件(例:ラマダーンの断食や日々の祈り) が南極圏の中では満たせないのである[6]
歴史(亜南極の島々も含む)フォークランド諸島にあるクライストチャーチ大聖堂と、クジラの骨でできたアーチ

1900年頃、捕鯨基地や探検隊の駐留地が広範囲に建てられた。第二次世界大戦の後、いくつかの軍事的な探検旅行がこの地域で行われた。1957年から1958年の国際地球観測年 の東側と西側の科学的な交流がかなり遮られていて、民間の科学探査がずっと寄与していた冷戦中の長期間に終わりを告げた. 1950年代以降は、大部分の南極基地が、調査研究のためだけに建てられた。この地域に留まる期間が延びたことにより、研究員は何か月もずっと家族と離れることになり、非常にストレスを感じることがあり得るようになった[7]。南極で地球物理学の調査を長い間行っていたイエズス会の会員が、初期の南極の任務にも協力したことがある。特筆すべきイエズス会員の地震学者は、Edward A. Bradley(en:Bradley Nunatakの由来)と、 Henry F. Birkenhauer (Birkenhauer島の由来)と、J. Joseph Lynchと、Daniel J. Linehanなどが挙げられる[8]

南極収束線以南、かつ、南緯60度以北(つまり、南極条約の範囲外)に建った最初の教会はケルゲレン諸島の本島にあるポルトーフランセに建つen:Notre-Dame des Ventsと、サウスジョージア島グリトビケンにあるノルウェー国教会の教会、en:Norwegian Lutheran Church (Grytviken, South Georgia)(1913年から)である。何年も放棄され、この地域の過酷な風雨による風化に晒された(1994年に屋根が破損した)後で、グリトビケンの教会はサウスジョージア博物館の管理人とボランティアにより1996年から1998年にかけて修復され、その後は時折ある教会で行われる礼拝と、結婚式で使われている[9]

南極収束線以北にあるいくつかの教会は、南極地域も受け持っている。例えば世界で最も南にある聖公会の大聖堂である、スタンリーにあるクライストチャーチ大聖堂は、フォークランド諸島だけであなく、サウスジョージア島とイギリス領南極地域をも受け持つ教区教会である。南米大陸本土最南端で、フエゴ島のすぐ北にあるプンタ・アレーナスにはローマ・カトリック教会の大聖堂があり、チリ領南極を受け持っている。

21世紀に入ると、キリスト教徒は次第に教徒のコミュニケーションをインターネットで行うことに目を向けるようになった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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