南楊州市
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京畿道 南楊州市馬?茶山村の与猶堂(丁若生家)
位置

各種表記
ハングル:????
漢字:南楊州市
片仮名転写:ナミャンジュ=シ
ローマ字転写 (RR):Namyangju-si
統計(2023年
面積:458.1 km2
総人口:732,265[1]
男子人口:363,190 人
女子人口:369,075 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:京畿道
下位行政区画:6邑3面7洞
行政区域分類コード:31130
南楊州市の木:マツ
南楊州市の花:レンギョウ
南楊州市の鳥:キツツキ
自治体公式サイト: ⇒南楊州市
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南楊州市庁第1庁舎(旧I金市庁)南楊州市庁第2庁舎(旧南楊州郡庁)

南楊州市(ナミャンジュし / なんようしゅうし)は、京畿道の中部にある市である。市庁舎は第1庁舎(旧I金市庁)(市議会がある)と第2庁舎(旧南楊州郡庁)の分庁方式を採用している。人口50万人以上の市に適用される大都市に指定されている。
概要

ソウル特別市の東に位置し、ソウル市庁より南楊州市庁第1庁舎は東北東へ22km。ソウルのベッドタウンであり、人口は1990年に約20万人だったのが、1998年に30万人、2003年に40万人、2008年に50万人を突破している。2010年の外国人人口は5,615人で、中国人が最も多く約2,200人、日本人は190人が登録されている。また、モンゴル国との交流も深く、市内にはモンゴル文化村があり、市の公式ホームページも英語日本語中国語版のほかモンゴル語版も用意されている。
歴史1980年以前の歴史については「楊州郡」を参照

1980年まで、楊州郡に所属していた。真乾邑・榛接邑・梧南邑は一時、豊壌県に所属していた。

1980年

4月1日 - 楊州郡九里邑・I金邑・榛接面・真乾面・水洞面・和道面・瓦阜面および別内面の一部をもって、南楊州郡を設置。[2](2邑6面)

12月1日 - 瓦阜面が瓦阜邑に昇格。[3](3邑5面)


1983年2月15日 - 真乾面の一部(陽地里・八賢里・梧南里)が榛接面に編入。[4](→ 現・梧南邑)(3邑5面)

1986年

1月1日 - 九里邑が九里市に昇格・分離。[5](2邑5面)

4月1日 - 瓦阜邑鳥安出張所が鳥安面に昇格。[6](2邑6面)


1989年

1月1日 - I金邑がI金市に昇格し、南楊州郡から分離。[7](1邑6面)

4月1日(2邑6面)

榛接面が榛接邑に昇格。

別内面退渓院出張所(退渓院里)が退渓院面に昇格。(3.26km2、全国で最も小さい面)



1991年12月1日 - 和道面が和道邑に昇格(3邑5面)。

1992年4月1日 - 榛接邑に梧南出張所を設置。

1995年

1月1日 - 南楊州郡がI金市と合併し、南楊州市が発足。南楊州郡は廃止。[8](3邑5面)

5月6日 - 榛接邑梧南出張所が梧南面に昇格。[9](3邑6面)


2001年9月12日(5邑4面)[10]

真乾面が真乾邑に昇格。

梧南面が梧南邑に昇格。


2006年

1月20日 - 退渓院面に、榛接邑・梧南邑・別内面・退渓院面を管轄する豊壌事務所を設置。[11]

11月20日 - 和道邑に東部事務所を設置。[12]


2008年10月7日 - 人口が50万人を突破した。

2012年1月1日 - 別内面の一部が別内洞に昇格。(5邑4面)

2013年1月7日 - 人口が60万人を突破した。

2016年1月4日 - 3つの行政福祉センター(瓦阜・鳥安、和道・水洞、好坪・坪内)が開設。

2017年

2月6日 - 5つの行政福祉センター(別内、榛接・梧南、真乾・退渓院、金谷・養正、陶農・芝錦)が開設。

12月18日(5邑4面)[13][14][15]

加雲洞・陶農洞・芝錦洞・水石洞・一牌洞・二牌洞・真乾邑の各一部をもって、茶山洞を設置。

芝錦洞・加雲洞の各残部および二牌洞の一部の区域をもって、改めて芝錦洞を設置。

行政洞としての陶農洞が茶山1洞に改称して茶山洞のうち国道6号線以北を管轄。

行政洞としての芝錦洞が茶山2洞に改称して茶山洞のうち国道6号線以南を管轄。



2018年3月 - 南楊州市の住民登録人口が安山市を超えた。

2019年

10月 - 南楊州市の住民登録人口が70万人を突破した。


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