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南条範夫
南條範夫
南條範夫
ペンネーム南条道之介
誕生古賀英正
1908年11月14日
日本 東京府東京市京橋区南紺屋町(現・東京都中央区銀座)
死没 (2004-10-30) 2004年10月30日(95歳没)
職業小説家、経済学者
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学
活動期間1950年 - 2004年
ジャンル歴史小説、時代小説
代表作『子守の殿』
主な受賞歴オール讀物新人杯(1952年)
直木賞(1956年)
紫綬褒章(1975年)
吉川英治文学賞(1982年)
勲三等瑞宝章(1982年)
デビュー作『出べそ物語』
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南條 範夫(なんじょう のりお、1908年11月14日 - 2004年10月30日)は、日本の小説家、経済学者。本名、古賀英正。「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。残酷ものと呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い歴史小説、時代小説で知られる。東京市出身。 東京銀座の南紺屋町に、代々の医師の家に生まれる。8歳から中国・青島の小中学校を出て、山口高等学校から1930年東京帝国大学法学部卒業、1933年同経済学部卒業、助手となる。1936年満鉄調査部東京支社に入り、1937年宮崎正義が率いる日満財政研究会 中学時代までは父から小説を読むことを禁じられていたが、高校に入って読むようになり、大学以降でもまた小説への興味は小さくなった。日本経済再建協会の雑誌『経済再建』に随筆を書いていたのが好評だったため、1950年に『週刊朝日』の懸賞小説朝日文芸賞に応募して入選(「出べそ物語」ペンネーム南条道之介)。1952年に『サンデー毎日』の懸賞小説に入選(「マルフーシャ」)。1952年に初めて書いた歴史物「子守の殿」で第1回オール讀物新人杯を受賞する。また1952年『サンデー毎日』で「『あやつり組』由来記」で入選、千葉賞で佳作。1953年から1954年にかけて「子守の殿」「不運功名譚」「水妖記」「畏れ多くも将軍家」で直木賞候補となる。1956年に「灯台鬼」で直木賞を受賞する[2]。一躍人気作家となり、多くの時代小説、歴史小説を執筆することとなる。この頃には経済団体の仕事はやめて、国學院大学と中央大学の講師だけは続けた。 1979年に國學院大学を定年退官となった後は、小説執筆に専念する。年1作長編を書き下ろすスタイルを確立し、その第1作となる「細香日記」で第16回吉川英治文学賞を受賞した。 2004年10月30日、肺炎のため死去した。享年95。90歳で書き下ろし長編『一十郎とお蘭さま』を発表するなど、高齢となっても執筆を続けており、『オール讀物』2004年2月号掲載の中編小説『乱世』が絶筆となった。 『無明逆流れ』(1957年)に始まる諸短篇や、映画『武士道残酷物語』の原作となった『被虐の系譜』(1963年)、『残酷物語』(1959年)、『古城物語』(1961年)などで残酷もののブームを巻き起こし、また組織における人間疎外という視点から「マゲをのせた現代小説」とも呼ばれた。一方で、奔放な武芸者月影兵庫のシリーズ(1958年 - )などの痛快な剣豪小説も人気があり、五味康祐、柴田錬三郎とともに、第一次剣豪ものブームをになった。
目次
1 経歴
2 作家活動
3 栄典
4 作品
4.1 著作リスト
4.2 著作リスト(古賀英正名義)
5 原作作品
6 脚注
7 参考文献
経歴
作家活動
栄典
1951年:週刊朝日懸賞小説に入選(『出べそ物語』、デビュー作)
1953年:第1回オール讀物新人杯受賞(『子守の殿』)
1956年:直木賞受賞(『燈台鬼』)
1975年:紫綬褒章受章
1982年:吉川英治文学賞受賞(『細香日記』)、勲三等瑞宝章受章
作品