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南村 喬之(みなみむら たかし、1919年3月 - 1997年)は、日本の絵物語作家・挿絵画家。本名:額田操。 1919年3月福島県出身。日本通信美術学院で、美術を勉強。戦時中にシベリアでの拘留生活を体験したのち、1948年に帰国。戦後直後は多様な作画仕事で生活費を稼ぎながら、改めて美術を学習。やがて恩師の友人・玉井徳太郎の紹介で、雑誌「日の丸」の別冊付録所収の「はやぶさ童子」で絵物語作家としてデビュー(同作は、南村喬名義)。昭和30年代には「少年ブック」「少年画報」などで活躍するが、絵物語文化が漫画分野にとって変わられるなか、仕事が減少。試みに「週刊少年マガジン」創刊号に漫画「天平童子」(原作・吉川英治)を執筆(矢野ひろし名義)するが、漫画は自分の資質に合わないと判断。以降は、挿絵画家に本格的に転向。児童出版分野を中心に、戦記もの、怪獣もの、その他で多大な業績を残した。 緻密で迫力のある画風を基調とし、特に1960年代の第一次怪獣ブーム時には、東宝、大映などの映画怪獣、ウルトラシリーズの怪獣、また妖怪などを多作。同ブームの隆盛にも大きく貢献した。第一次怪獣ブームの洗礼を受けた世代人にとっては、南村の怪獣イラストこそ魂の故郷のひとつと言ってよい。 この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。 桐丘裕之(きりおか ひろゆき)、桐丘裕詩(きりおか ゆうじ)などの筆名で、SM雑誌の小説挿絵やイラスト画も担当。「SMファン」「SMフロンティア」「SMクラブ」「SM秘小説」ほか多くのマニア誌で活躍し、心身を責められて悶え苦しむマゾ女性の肉感的かつ妖しい美しさ、そして男性サディストの実にそれらしい残忍・酷薄な表情などは、独特の世界を確立している。「別冊SMファン」(司書房)1979年3月号では、特別企画「桐丘裕詩傑作画廊」として複数の旧作画稿がまとめて掲載されている。
略歴
作風
別名義
雑誌連載
白馬童子 少年画報
猿飛佐助 少年画報
オテナの塔 おもしろブック
はやぶさ童子 幼年ブック
ひみつ兵器物語 週刊少年マガジン
弁慶東京にあらわる週刊少年キング
著書
『咆哮の世紀 南村喬之怪獣画集』(朝日ソノラマ)
『伝説の画家 南村喬之の世界 大恐竜画報』(構成・文 テリー下沢 )(北辰堂出版)
『空の勇者ゼロ戦大画報 伝説の画家 南村喬之の世界』(構成・文 テリー下沢 )(北辰堂出版)
『伝説の画家 南村喬之の世界 太平洋戦争大画報』(構成・文 テリー下沢 )(北辰堂出版)
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