南本町_(さいたま市)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 埼玉県 > さいたま市 > 南区 (さいたま市) > 南本町

■南本町
町丁
南浦和駅西口。南本町は西口周辺にあたる。
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■南本町南本町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度50分49.28秒 東経139度40分08.12秒 / 北緯35.8470222度 東経139.6689222度 / 35.8470222; 139.6689222
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
南区
地域浦和市
人口(2017年平成29年〉9月1日時点)[1]
 ? 合計3,129人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号336-0018[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮

南本町(みなみほんちょう)は、埼玉県さいたま市南区町丁。現行行政地名は南本町一丁目および南本町二丁目。住居表示実施地区[4]郵便番号は336-0018[2]
地理

さいたま市の南部、南区の中央部に位置し、大宮台地(浦和大宮支台)の縁に当たる場所で、地内は起伏が見られる。南浦和駅の西側にあたる整然とした住宅地となっている。JR武蔵野線を境に北が二丁目、南が一丁目となっている。西で南区神明、北で浦和区神明、東で南浦和、南で文蔵、西南で根岸と隣接している。全域が市街化区域[5]で主に第一種住居地域に指定され、線路沿いや文化通り沿線は商業地域である。
歴史

1889年(明治22年)以前の大谷場村西部の地域に位置する。1980年(昭和55年)の住居表示実施により南本町が成立した。

1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により大谷場、太田窪、大谷口、広ヶ谷戸、円正寺と原山新田の五箇村一新田が合併し、谷田村成立[6]。谷田村の大字大谷場の西部となる。

1932年昭和7年)4月1日 - 谷田村が同郡木崎村(大字北袋を除く)と共に浦和町へ編入される[6]

1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となる。

1950年(昭和25年)11月 - 浦和市立岸中学校(現、さいたま市立岸中学校)が、浦和市立高砂小学校(現さいたま市立高砂小学校)の仮校舎から現在地に移転する。

1961年(昭和36年)7月1日 - 京浜東北線南浦和駅が開設される。

1973年(昭和48年)4月1日 - 地内に武蔵野線が建設され、開業する。

1978年(昭和53年)12月 - 地内に丸広百貨店南浦和店が建設され、オープンする。

1980年(昭和55年)11月1日 - 南浦和土地区画整理事業が完了後住居表示実施により浦和市大字大谷場東北本線より西側と根岸の一部から浦和市南本町一丁目・二丁目が成立する[7]

2001年平成13年)5月1日 - 浦和市が、与野市大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名となる。

2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行しさいたま市南区の町名となる。

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
南本町一丁目555世帯1,095人
南本町二丁目891世帯2,034人
計1,446世帯3,129人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]

丁目番地小学校中学校
南本町一丁目全域さいたま市立高砂小学校さいたま市立岸中学校
南本町二丁目全域

交通
鉄道


JR武蔵野線京浜東北線南浦和駅』 - 武蔵野線ホームの西側の一部が当地内にある。

道路


文化通 - 西口駅前通り

田島通り[9]

一ツ木通

出身・ゆかりのある人物

中川健吉 - 元浦和市長

史跡

大谷場貝塚 - 南浦和駅西口をでて正面に突き当たる台地上一帯にあった
[5]縄文時代前期の貝塚遺跡である。現在は宅地となっている。

施設
一丁目


丸広百貨店南浦和店

一ツ木公園

大谷場氷川神社 - 1666年に建立されたと伝わる。

浦和南本町郵便局

みずほ銀行


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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