南木曽岳
花崗岩の巨石と笹原の南木曽岳
標高1,679[1] m
所在地長野県木曽郡南木曽町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度35分33秒 東経137度38分39秒 / 北緯35.59250度 東経137.64417度 / 35.59250; 137.64417
南木曽岳(なぎそだけ)は、木曽山脈(中央アルプス)南西部、長野県南木曽町にある標高1,679 m[1]の山。日本三百名山に選定されていて[2]、長野県の「県自然環境保全地域」の指定を受けている山である[3][4]。
概要伝説となっている
金時の産湯の池
木曽山脈(中央アルプス)の主稜線から西に派生する尾根上にある。御嶽山、木曽駒ヶ岳とともに、木曽の三岳に数えられており[5]、古くから信仰の山として修験者に登られていた[6][7]。また、木曽地域で登山対象の山として、南木曽岳・風越山・糸瀬山の3山が、木曽三山と言われている[8]。花崗岩質の岩山で、山頂付近では花崗岩の巨石が乱立し、鏡ヶ池と呼ばれる池[6]と避難小屋がある。山頂部には点名「南木曾」の二等三角点[9][10]があるが、樹木に覆われていて展望はない。三角点の北東100 m程の位置に、標高1,679 mの最高地点となる標高点があり、[1][10]周辺の岩の上からは、御嶽山、北アルプス、中央アルプスなどの視界が良好な箇所かある。
別名が、「泣きびそ岳」、「金時山」、「揚籠山」(あげろやま)であり、『金時の産湯の池』伝説のある池がある[4]。また金時が生まれたと伝えられる『金時の洞窟』がある。 山腹には木曽五木が分布している[4][5]。その一つであるヒノキは南木曽町の町の木に指定されている。山頂周辺にはクマザサが生い茂り、大きな花崗岩(兎岩、金時岩、弘法岩、御飾岩など)とツガなどの針葉樹林が混じり自然庭園の景観となっている[11]。登山道では、アカヤシオ、イワカガミ、ショウジョウバカマ、シャクナゲ、バイカオウレンなどの花が見られる。山域にはニホンザル、ニホンカモシカ、ブッポウソウなどが生息している[6]。1877年(明治10年)頃に木地師が南南東山麓の漆畑の地区に集まり、山腹にあるヒノキなどを使い水車でろくろを回し碗や盆などの木製品を作っていた[2]。風雨で山腹の花崗岩が風化し急峻な山体に砂礫土がたまり、これらが大雨時に流されることがあった。山麓の集落はこの「蛇抜け」と呼ばれる土石流に再三見舞われている[4]。これが要因となり南木曽岳に「山姥伝説」がある[11]。 江戸時代初期から修験者に登られていた。1937年には山頂に御嶽教栄徳講社により摩利支天尊が祀られた[11]。1959年に登山道と避難小屋が整備されたが、同年9月26-27日の伊勢湾台風により倒木などの大きな被害を受けた。1965年以降に南山麓に南木曽キャンプ場が開設され、登山道が再整備された[11]。蘭・キャンプ場からのルートの難所のカブト岩などには鎖が設置され、その後木道が整備された。日帰り登山の山として東海地方などからも多くの登山者が訪れる[7]。 南北2方向からの登山道がある[8]。南側の蘭からのルートがよく利用されている[12]。山頂の東側には「摩利支天」と呼ばれるピークがある。 国道256号の尾越(おこし)から北側に南木曽山麓蘭(あららぎ)キャンプ場があり、その林道の先に登山者用の駐車場と南木曽岳山麓避難小屋がある。その登山口近くには、男滝(おたき)と女滝(めたき)がある。林道の先の登山道の途中に分岐があり、左側が登り専用、右側が下り専用の時計回りの周回ルートになっている。
自然環境
アカヤシオバイカオウレンニホンカモシカブッポウソウ
登山
登山道登山道で見られる木曽五木の一つのコウヤマキ。2006年9月6日に誕生した秋篠宮悠仁親王のお印でもある。
蘭・キャンプ場からのルート
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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