「南昌」はこの項目へ転送されています。県については「南昌県」をご覧ください。
中華人民共和国 江西省 南昌市
滕王閣滕王閣
略称:洪、昌
旧称:豫章
江西省中の南昌市の位置江西省中の南昌市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯28度41分 東経115度53分 / 北緯28.683度 東経115.883度 / 28.683; 115.883
南昌市(なんしょう/ナンチャン-し、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Nanch?ng)は、中華人民共和国江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千二百年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。九江市・景徳鎮市などと共に「環?陽湖都市群」を構成している。華中地域では、三番目の大都市となる。 南昌市は江西省中部のやや北、?江・撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である?陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。?江の夜景 春秋戦国時代 春秋時代からは豫章と称され、呉の領内だったが、戦国時代では呉は楚に滅ぼされ(紀元前553年)、楚の一部となった。 紀元前202年、漢の高祖劉邦は潁陽侯灌嬰に命じて南昌周辺を駐守させた。翌年、灌嬰は部下を率いて現在の南昌駅東南約4キロにある黄安寺あたりに土城を築き、灌城と称した。これが南昌建城の始まりである。その後は豫章郡となり、後に灌城は南昌と呼ばれるようになった。南昌では「昌大南疆」の意味が含まれている。 唐代では洪州と称され、大いに発展し、中国南部の大都市となった。特に造船業・製紙業・印刷業・織物産業・陶磁器製造業が発達した。中には洪州窯が有名で、青瓷(青磁)の発祥の地となり、後の中国六大名窯となった。 唐の太宗李世民の弟の滕王李元嬰がこの地に滕王閣を建て、後は詩人王勃の名作「滕王閣序」によって広く知られるようになった。幾度も戦火や火災によって破壊されたが十数回も再建され、今では江南の三大名楼として知られる。 南唐の皇帝李mによって南昌府に昇格され、後の961年に「南都」と称され、南唐の首都となった。 南宋に入って、孝宗が即位した後の1163年に隆興府と称され、中国全土の五大造船都市として造船業がさらに発展した。 1927年8月1日、周恩来・朱徳・賀竜・葉挺・劉伯承らが世界を震撼させた武装起義(南昌起義)を指導し、南昌は中国人民解放軍誕生の地となった。この日は中国の建軍記念日として祝日になっている。 6市轄区・3県を管轄する。
地理
歴史
前漢
唐
五代十国時代
宋
近現代
行政区画
市轄区:
東湖区・西湖区・青雲譜区・青山湖区・紅穀灘区・新建区
県:
Size:56 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef