南方英二
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チャンバラトリオ
メンバー山根伸介
志茂山高也
(解散時点)
結成年
1963年
解散年2015年
事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期1963年 - 2015年
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チャンバラトリオは日本お笑い芸人グループである。活動終了時点の所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー(現吉本興業)。時代劇風のチャンバラを主題とした、剣劇に加えハリセンを使っての体を張ったネタを披露した。

結成時は3人組だったため名前をトリオとしたが、4人組だった時代が長い。最末期の生存メンバーが2人となって以降も一貫して名前は変更されなかった。

2015年5月12日、リーダーの山根伸介が京都祇園花月の舞台で会見を行い、52年続いたグループの解散を発表した[1]

愛称は「チャントリ」。目次

1 グループ概要

2 メンバー

2.1 解散時のメンバー

2.2 元メンバー


3 経歴

4 CD・カセット

5 映画

6 テレビドラマ

7 著書

8 脚注

9 外部リンク

グループ概要

活動時の衣装は着物やなど小道具に至るまで完全な時代劇様式であるが、頭にはかつらをつけない。舞台上で剣劇風のコントを見せ、ボケ役の顔や頭などをハリセンで叩いてつっこむ。一発叩かれると、大きな音とともに痛がるのがお約束となっている。ちなみに現在、芸人のネタとしてハリセンを使うことはテレビのバラエティ番組などでも珍しくなくなったが、それを考案したのはメンバーの南方であり、使用したのはチャンバラトリオが最初。使用するハリセンは、南方自らが作り特注の厚紙を使用する。

結成時のメンバーである山根、南方、伊吹の3人は元々は東映京都撮影所で斬られ役をやっていた俳優であり、お笑いの枠にははまらない本格的な殺陣をネタに取り入れた。時には時代劇の演技指導なども行うこともあった。

主な弟子にチャンバラJr.宮川花子青野敏行平山昌雄小川リエ(ハリセン娘)、団トリオ(解散)らがいる。チャンバラJr.とはチャンバラ軍団またはチャントリ軍団としての活動も行なった。
メンバー
解散時のメンバー

山根 伸介(やまね しんすけ 
1937年2月15日 - 2015年11月14日
本名は山根 利雄(やまね としお)。通称は(山根の)ドンちゃん。東映時代の芸名は高根 利夫(たかね としお)。京都市出身。170cm。リーダー。脚本、構成、ツッコミ担当。京都市立西京高等学校卒業、日本大学芸術学部中退。「東映剣会」幹部。阿部九州男に師事。1960年に明治座で初舞台。熱狂的な巨人ファンとしても知られる。脳溢血で倒れるも、復帰。現在吉本に所属する「チャンバラJr.」は、山根が命名した。ぴのっきをの2人が弟子についていた時期がある。2015年5月12日のグループ解散発表の際に、みずからが肝臓がんを患っていることを公表した[1]。同年11月14日、肝臓がんのため死去[2]。78歳没。

志茂山 高也(しもやま たかや 1944年8月21日 - )
本名は末安 高也(すえやす たかや)。福岡県大牟田市出身。170cm。ツッコミ担当。東映京都の斬られ役集団「ピラニア軍団」幹部を経て、1994年より加入。
元メンバー

南方 英二(みなかた えいじ 
1932年11月21日 - 2010年2月26日
本名は楠本 喜八郎(くすもと きはちろう)。和歌山県田辺市出身。頭(かしら、「経歴」の項で後述)、ハリセン係。和歌山県立田辺高等学校卒業。兄で俳優だった楠本健二を頼って1955年7月に東映に入社。「東映剣会」幹部。萬屋錦之介に師事。1965年に明治座で初舞台。趣味は競輪で、ゲストとして競輪中継への出演歴も多数ある[3]。晩年は映画・Vシネマでのバイプレーヤーとしても活躍した。2010年2月26日20時33分、肝硬変のため大阪府内の病院で死去。77歳没。

伊吹 太郎(いぶき たろう 1937年5月31日 - )
本名及び東映時代の芸名は伊吹幾太郎(いぶき いくたろう)。京都府京都市出身。ボケ担当。主にハリセンの叩かれ役。『久米宏のTVスクランブル』(日本テレビ)での「ハリセンおじさん」でも改めて有名になった。「東映剣会」会員で、大友柳太郎に師事。


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