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出典検索?: "メガラニカ"
この項目では、伝説上の大陸について説明しています。その他の用法については「メガラニカ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
1587年にメルカトルが作成した世界地図。オレンジ色の陸地がテラ・アウストラリス。左端の緑色の島はニューギニア島。
メガラニカ、マガラニカ(Magallanica)は、かつて南極を中心として南半球の大部分を占めると推測された仮説上の大陸のことである[1]。
テラ・アウストラリス(ラテン語 Terra Australis、南方大陸)ともいうが、この語はのちにオーストラリア大陸を指すようになり、現在でも雅語・文語的に使われることがある[2]。未発見であることを強調し、テラ・アウストラリス・インコグニタ(Terra Australis Incognita、未知の南方大陸)ともいう[3]。
「メガラニカ」は、南方大陸の一部と思われたフエゴ島を発見したフェルディナンド・マゼラン (Magallanes)にちなんだ、比較的新しい名である[4]。形容詞として使って、テラ・マガラニカ(Terra Magallanica、メガラニカ大陸)ともいう。17世紀の中国で作られたマテオ・リッチの『坤輿万国全図』や、その影響を受けた『三才図会』の「山海輿地全図」、ジュリオ・アレーニの『万国全図』でこの名が使われていたため、日本では「テラ・アウストラリス」よりも広く知られた名前となった。漢字表記は墨瓦?泥加[5]または墨瓦?尼加とされているが[6]、1708年に日本で出版された「地球万国一覧之図」には黒瓦?尼加と書かれている。 古代ギリシアにおいては、既に知識人の間で地球球体説が唱えられていた。だが、当時知られていた大陸は全て北半球に偏っており、安定性が悪いように見えた。そのため、南半球にもそれと釣り合いが取れるだけの巨大な陸地が存在するという考えが生まれた[7]。 テラ・アウストラリスは長く仮説にすぎなかったが、大航海時代に突入すると、その一部と思われる陸地が発見されるようになった[8]。 1520年にフェルディナンド・マゼランの艦隊が水平線上に垣間見た陸地(現在のフエゴ島)は、南極まで続く未知の大陸の最北端だと思われた[7]。フエゴ島と南アメリカ大陸の間のマゼラン海峡は大西洋と太平洋を結ぶ唯一の水路だとされ、当時の地図の多くにもそのように描写され南方大陸はメガラニカと名付けられた[9]。しかし1578年にフランシス・ドレークがホーン岬とドレーク海峡を発見し、フエゴ島が島であることを明らかにした[10]。
歴史フエゴ島、ドレーク海峡、南極大陸。南米の南端にあるフエゴ島はかつてメガラニカの一部と考えられた。
古代ギリシア
大航海時代