この項目では、神奈川県横浜市西区の町について説明しています。そのほかの「南幸町」については「南幸町」をご覧ください。
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南幸
町丁
横浜駅 西口駅舎(2020年9月5日)
南幸町
町丁
国 日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
区西区
町名制定[5]1932年(昭和7年)1月1日
町名廃止[6]1965年(昭和40年)7月1日
南幸(みなみさいわい)は、横浜市西区の町名。一大ターミナル駅である横浜駅西口に面し、市内はもとより日本国内でも有数の商業集積地となっている。終戦直後までは資材置き場などとして使われていたが、1950年代に相模鉄道(相鉄)主導による開発が始まってから急速に発展した。幸川を挟み、現行行政地名は南幸一丁目および南幸二丁目。住居表示実施済み区域[7]。
歴史新田間橋から南東方向を描いた、江戸時代(安政7年頃)の錦絵。
海の色が濃くなっている部分が南幸、右側の水田が岡野新田。1952年頃の横浜駅西口全景(現在の南幸1丁目)相模鉄道がスタンダード石油から買収した土地風の塔「横浜駅#西口」も参照
南幸の周辺についても、一部記す[8][9]。
1707年(宝永4年) - 宝永大噴火により富士山の火山灰が関東平野にも降り注ぐ。この火山灰が帷子川の河口に滞積し、袖ケ浦と呼ばれていた入り江が遠浅になる。
1850年(嘉永3年) - 岡野新田(現:岡野一丁目・二丁目)の埋め立てが完了し、陸になる[10]。
1859年(安政5年) - 岡野新田の海沿いに横浜道(現:新横浜通り、神奈川県道13号横浜生田線)が整備され、東海道と横浜港が結ばれる。
1869年(明治2年) - 高島嘉右衛門により、線路・国道1号線の部分(現在の高島2丁目の一部)の埋め立てが完了。
1872年(明治5年)9月12日 - 新橋(汐留駅)?横浜(桜木町駅)に、日本初の鉄道路線が開通。
1895年(明治28年) - 茂木六兵衛らにより入り江の内側(通称・平沼)の埋立を開始。
1907年(明治40年) - スタンダード石油が油槽所を開設。
1913年(大正2年)6月5日 - 埋め立てが完了して青木町に編入され、青木町字南幸町と命名される。
1915年(大正4年)8月15日 - 鉄道省により、東口に3代目横浜駅が設置される。
1923年(大正12年) - 関東大震災によりスタンダード石油油槽所が倒壊し、大火災が発生。周辺住民により再建反対運動が起き、油槽所は鶴見区大黒町に移転。
1928年(昭和3年)5月18日 - 東京横浜電鉄(現:東急電鉄東急東横線)が高島駅(現:高島町駅)まで延伸し、途中駅として横浜駅を開設。
1932年(昭和7年)1月1日 - 青木町の一部を分離し、南幸町を新設。横浜市神奈川区南幸町となる[5]。
1933年(昭和8年)12月27日 - 神中鉄道(現:相模鉄道)が横浜駅まで延伸し、駅を開設。
太平洋戦争中 - スタンダード石油所有地が敵性財産として接収される。
1943年(昭和18年)12月1日 - 中区へ編入。横浜市中区南幸町となる[11]。
1944年(昭和19年)4月1日 - 西区の新設に伴い、中区から分区。横浜市西区南幸町となる[12]。
1945年(昭和20年) - 終戦。GHQの資材置き場として接収される。
1952年(昭和27年)11月28日 - 相模鉄道、スタンダード石油より西口広場の土地を購入。
1955年(昭和30年)10月27日 - 西口駅前に、ローラースケート場が開業。
1956年(昭和31年)4月2日 - 横浜駅名店街・高島屋ストア営業開始。
1957年(昭和32年)
横浜市、西口広場・道路の整備を完了。
9月21日 - 相鉄文化会館が開業。
1958年(昭和33年)4月16日 - 横浜高島屋、仮店舗で営業開始(高島屋ストア跡地)。
1959年(昭和34年)10月1日 - 横浜高島屋、本設店舗(相鉄会館)で営業開始。
1961年(昭和36年)12月12日 - 相模鉄道本社(相鉄ビル、現:横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)が竣工。
1962年(昭和37年)
2月28日 - 横浜東急ホテル(後の横浜エクセルホテル東急)開業。
11月23日 - 国鉄の西口駅ビル 横浜ステーションビル(後の横浜シァル)開業。
1963年(昭和38年)3月18日 - 横浜駅西口振興協議会が発足。
1964年(昭和39年)12月1日 - ダイヤモンド地下街(現在は相鉄ジョイナスの一部)・横浜駅西口地下駐車場が開業。
1965年(昭和40年)7月1日 - 住居表示実施し、南幸一丁目と二丁目を新設。南幸町は廃止[6]。ダイヤモンド地下街(旧:北幸町1丁目6番地)を、南幸一丁目に編入。
1968年(昭和43年)
権田金属工業の工場跡地に、サンコー横浜店(後のダイエー横浜西口店)が開店。
11月3日 - 横浜岡田屋(現:横浜岡田屋モアーズ)が開店。
1971年(昭和46年)
3月5日 - 相鉄ムービル(初代)が開業(北幸1丁目 相鉄ビルの隣、現:横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)。
8月1日 - 相模鉄道の2代目駅舎が、相鉄ジョイナスに先行して開業。
1972年(昭和47年)4月5日 - ダイエー横浜ショッパーズプラザ(後のダイエー横浜西口店)が開店。
1973年(昭和48年)
11月20日 - 横浜駅名品街・相鉄文化会館の跡地に、相模鉄道の駅ビル 相鉄ジョイナス(新相鉄ビル)が開業。
11月23日 - 北幸1丁目に、三越横浜店(岩崎学園ビル)が開店。
1976年(昭和51年)9月4日 - 横浜市営地下鉄(現:横浜市営地下鉄ブルーライン)横浜駅が開業。
1978年(昭和53年)10月6日 - ニチイ横浜ショッピングデパート(現:横浜ビブレ)が開業。
1979年(昭和54年)
9月4日 - 第1回ヨコハマカーニバル開催(2009年終了)。
12月1日 - 西口第二バスターミナル使用開始。
1981年(昭和56年)1月29日 - 横浜駅西口周辺地区整備議会が発足。
1982年(昭和57年)11月26日 - 横浜ステーションビルが、シァルに改称。
1985年(昭和60年)4月 - 横浜ビブレが開業。
1986年(昭和61年) - 横浜駅西口誕生30周年を記念し、西口駅前バスのりばに風の塔を設置(設計は伊東豊雄、ダイヤモンド地下街の換気塔を改装)[13]。
1988年(昭和63年)
7月19日 - 相鉄本社ビル(北幸2丁目)が完成。
11月12日 - 相鉄ムービル、北幸1丁目から南幸2丁目に移転。
1990年(平成2年)
東急ハンズ横浜店が開店。
10月19日 - 神奈川区鶴屋町に、相鉄高速バスセンターが開業(2008年9月2日廃止)。
1998年(平成10年)9月24日 - 相鉄ビル・旧:相鉄ムービル跡地に、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズが開業。
2000年 - アリック日進横浜駅西口本店(現:ドン・キホーテ横浜西口店)が閉店。
2004年(平成16年)
1月31日 - 東急電鉄東急東横線横浜駅が、地上から地下5階(JR横須賀線プラットフォーム・東急東横線 旧プラットフォーム直下)[14]に移転。