南小谷駅
駅舎(2021年8月)
みなみおたり
Minami-Otari
◄10 千国 (1.4 km) (4.0 km) 中土►
長野県北安曇郡小谷村大字千国乙10356.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度46分28.68秒 東経137度54分30.01秒 / 北緯36.7746333度 東経137.9083361度 / 36.7746333; 137.9083361
南小谷駅(みなみおたりえき)は、長野県北安曇郡小谷村大字千国乙にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)大糸線の駅である。駅番号は「9」[報道 1]。事務管コードは▲510631[2]。 JR東日本が管轄する電化区間と、JR西日本が管轄する非電化区間との境界駅であり[3]、在来線では唯一のJR東日本とJR西日本との境界駅[注釈 1]である。 JR東日本長野支社が構内施設を保有し、駅業務等を担当している。
概要
歴史
1935年(昭和10年)11月29日:国有鉄道大糸南線の信濃森上駅 - 中土駅間開通に伴い一般駅として開業[1][4]。
1939年(昭和14年)
4月21日:午前9時17分姫川右岸風張山が崩壊により当駅 - 信濃森上駅間が不通となる[5]。
8月7日:当駅を含む信濃森上駅 - 中土駅間の一般運輸営業を停止[6]。宅扱貨物及び小口扱貨物による生活必需品の運送を同年11月30日まで自動車で代行[5][6]。
1940年(昭和15年)
1月19日:同日より再び生活必需品の冬季代行運送を馬橇にて実施する[7][5]。
11月1日:信濃森上駅 - 当駅間が開通し、信濃森上駅 - 中土駅において一般運輸営業を再開する[8]。
1945年(昭和20年)7月15日:水害により信濃森上駅 - 中土駅間が被災。当駅以南が18日間、以北が20日間不通となる[5]。
1952年(昭和27年)7月1日:当駅 - 中土駅間において築堤が崩壊し、3か月間不通となる[5]。
1957年(昭和32年)8月15日:中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、所属路線名を大糸線と改称する[1][9][10]。
1962年(昭和37年)12月25日:千国駅が開業し[11]、同時に当駅が千国駅の管理駅となる[12]。
1967年(昭和42年)
5月19日:当駅 - 信濃森上駅間の電化着工[5]。
10月1日:営業範囲を改正し、旅客、手荷物、小荷物及び小口扱貨物を取扱う駅となる[13]。
12月20日:当駅 - 信濃森上駅間の電化、新宿駅 - 信濃森上駅間の急行列車及び松本駅 - 信濃森上駅間の列車の一部を当駅まで延長する[14]。またこれに合せて、当駅駅舎の改築が竣工する[5]。
1968年(昭和43年)3月29日:当駅に中土方逸走防止乗越転轍機を設置する[5]。
1971年(昭和46年)
1月30日:営業範囲を改正し、小口扱貨物の取扱を廃止して旅客駅となる[15]。
9月15日:営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱を廃止[16]。
1973年(昭和48年)12月25日:当駅に小谷村村営観光案内所を設置する[5]。
1982年(昭和57年)11月15日:当駅への特急「あずさ」の定期乗入れ開始[5]。
1983年(昭和58年)
3月25日:大糸線全線において列車集中制御装置を導入。当駅が白馬大池駅、中土駅及び北小谷駅の管理駅となる[5]。
7月5日:当駅に自動券売機を2台導入する[5]。
12月14日:当駅への特急「しなの」の乗入れ開始[5]。
1984年(昭和59年)2月1日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止[17]。