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南宮大社
高舞殿(手前)と拝殿
所在地岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分39.5秒 東経136度31分31.1秒 / 北緯35.360972度 東経136.525306度 / 35.360972; 136.525306
南宮大社(なんぐうたいしゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社。旧称は南宮神社。式内社(名神大社)、美濃国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。式年遷宮は51年毎に行われる。 社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる。 平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。 文亀元年(1501年)4月、社殿や僧房が悉く焼失する火災が起きたが、守護の土岐政房により復興が行われ、永正8年(1511年)に完成した[1]。 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が岡田善政を奉行として再建した[2]。この際に作成された文書が現在まで残されており、再建にかかった費用などが事細かに記された貴重な資料として国の重要文化財に指定されている[3]。 1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現朝倉山真禅院)。 近代社格制度のもとで、1871年(明治4年)に「南宮神社」として国幣中社に列し、1925年(大正14年)に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。 本殿回廊内 境内後方
概要
祭神
主祭神
金山彦命 (かなやまひこのみこと)
配神
彦火火出見命
見野命
歴史
神階
承和3年(836年)11月4日、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「仲山金山彦大神」
承和13年(846年)5月8日、正五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観元年(859年)正月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観6年(864年)5月21日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観15年(873年)4月5日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
康平5年(1062年)、正一位
境内
建造物
拝殿(重要文化財)
高舞殿(重要文化財)
楼門(重要文化財)
石鳥居(重要文化財)
北方の垂井宿内、当社への入り口に所在。寛永19年(1642年)作。
本殿 - 重要文化財
幣殿 - 重要文化財
その他
聖武天皇旧跡 - 大仏建立勅願所碑 など
瓦塚
社殿の古瓦を集めた塚。
神社入口
大鳥居(高さ21m)
石輪橋(重要文化財)
摂末社
境内社
樹下神社
祭神:大己貴命
摂社。本殿に向かって右隣に鎮座。社殿は重要文化財。
高山神社
祭神:木花開耶姫、瓊瓊杵尊
摂社。本殿に向かって左隣に鎮座。社殿は重要文化財。南宮山山頂に奥宮が鎮座する。
隼人神社
祭神:火闌降命
摂社。本殿に向かって右手に鎮座。社殿は重要文化財。
南大神社
祭神:天火明命
摂社。本殿に向かって左手に鎮座。社殿は重要文化財。
七王子神社
祭神:大山祇神、中山祇神、麓山祇神、?山祇神、正勝山祇神、高?神、闇?神
摂社。本殿背部に鎮座。社殿は重要文化財。
荒魂社 - 祭神:本社祭神の荒魂
伊勢両宮 - 祭神:天照大神、豐受大神。古くは本社本殿が鎮座した
東照宮
南宮稲荷神社
金敷金床神社 - 祭神:豐岡姫命、蛭兒命
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