南宗寺
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この項目では、大阪府堺市の寺について説明しています。その他の寺については「南宗寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

南宗寺


仏殿(重要文化財)
所在地大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁1-2
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度34分8.47秒 東経135度28分6.52秒 / 北緯34.5690194度 東経135.4684778度 / 34.5690194; 135.4684778 (南宗寺)座標: 北緯34度34分8.47秒 東経135度28分6.52秒 / 北緯34.5690194度 東経135.4684778度 / 34.5690194; 135.4684778 (南宗寺)
山号龍興山
宗派臨済宗大徳寺派
本尊釈迦如来
創建年弘治3年(1557年
開山大林宗套
開基三好長慶
中興年元和5年(1619年
中興沢庵宗彭
札所等和泉西国三十三箇所客番
文化財仏殿、山門、唐門(重要文化財
庭園(国の名勝
法人番号9120105000932
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枯山水庭園 (国の名勝)

南宗寺(なんしゅうじ)は、大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派寺院山号は龍興山。本尊釈迦如来三好氏の菩提寺。茶人の武野紹鴎千利休が修行をした縁の寺であり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院である。古田織部作と伝わる枯山水庭園は、国の名勝に指定されている。
歴史

大永6年(1526年)8月[1]に古嶽宗亘が堺南荘にあった庵を南宗庵と名付けた。宗亘はこの庵を法嗣の伝庵宗器に継がせたが、宗器が早世したため、もうひとりの法嗣だった大林宗套が南宗庵3代目となった[2]

弘治3年(1557年)当時、畿内随一の実力者に上り詰めた河内国飯盛山城主・三好長慶が非業の死を遂げた父・三好元長の菩提を弔うべく、大林宗套に開山を依頼し、南宗庵をもとにして南宗寺を創建した。創建当時は堺市宿院町付近にあったと伝える。

南宗寺が落成したのは宗套の死後、笑嶺宗?が2代目の住持を務めていた時代で、山号の龍興山を名付けたのも宗?である。さらに、元亀4年(1573年)には足利義昭により十刹とされた[3]

天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、三好之長を祀っていた三好神廟から8寸の黄金像が略奪されている[2]

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、4月28日に豊臣方の大野治房による堺焼き討ちで市街とともに焼失したが、その後、元和5年(1619年)に当時の住職であった沢庵宗彭によって現在の場所に移されて再興された。現存する仏殿、山門などは沢庵の没後、17世紀半ばに整備されたものである。

太平洋戦争中の1945年昭和20年)7月10日に行われた第6回大阪大空襲(堺大空襲)で開山堂、方丈、庫裏、茶室「実相庵」、東照宮などを失ったが、境内は江戸時代禅宗寺院の雰囲気を今もとどめている。


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