かつて曽於郡にあった「大隅町」とは異なります。
みなみおおすみちょう
南大隅町旗南大隅町章
2005年8月1日制定
国 日本
地方九州地方
都道府県鹿児島県
郡肝属郡
市町村コード46491-1
法人番号7000020464911
面積213.59km2
総人口5,692人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度26.6人/km2
隣接自治体肝属郡肝付町、錦江町
南大隅町役場
町長[編集]石畑博
所在地〒893-2501
鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北226番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度13分02秒 東経130度46分06秒 / 北緯31.21733度 東経130.76822度 / 31.21733; 130.76822座標: 北緯31度13分02秒 東経130度46分06秒 / 北緯31.21733度 東経130.76822度 / 31.21733; 130.76822
南大隅町役場(2020年11月以降の庁舎)
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南大隅町(みなみおおすみちょう)は、鹿児島県(離島部除く)の東南部、大隅半島の南部にある町。肝属郡に属する。日本本土最南端[1]の佐多岬を有する。
地理旧根占町を流れる雄川(おがわ)太平洋に面する佐多・大泊の海
大隅半島の最南部にあたり、西側は鹿児島湾(錦江湾)および東シナ海、東側は太平洋(フィリピン海)、南側は大隅海峡に囲まれている。佐多岬上を北緯31度線が通る。町域の大部分は肝属山地で占められ、可住地面積比率は19パーセントにとどまっている[2][3]。西側の錦江湾沿いから佐多岬にかけての地域は霧島錦江湾国立公園に指定されている。 北方向に錦江町および肝付町が隣接している。錦江町へは国道269号または県道68号(鹿屋吾平佐多線)、肝付町へは県道74号(内之浦佐多線)で連絡する。 旧根占町・旧佐多町からなり、住所表記に旧町名を頭につけている。(○○町××→南大隅町○○××) 地域大字 縄文時代早期の遺跡として大中原遺跡
隣接市町村
大字
根占根占川北・根占川南・根占辺田・根占山本・根占横別府
佐多佐多伊座敷・佐多郡・佐多辺塚・佐多馬籠
歴史鹿屋市・錦江町境の国道269号。南隅は南大隅・錦江2町を指す名称でもある
713年の大隅国設置時には肝属郡に属していたが、後に大隅郡(1887-1897年は南大隅郡)所属となる。平安時代からは禰寝院と呼ばれる荘園があり、これに因み、古代からこの地と縁の深い建部氏は名字を禰寝氏(根占氏とも)と名乗ることになった。こうして同氏は古代にあっては大宰府の在庁官人、郡司、そして中世にあっては鎌倉幕府の御家人として登場することになる。
16世紀末に、日置市(日吉町吉利)に移封されるまで、数百年間にわたって同氏はこの地を治め続け、日本の歴史のみならず、ヨーロッパの歴史とも繋がった。南蛮人来航の一港は、実に小禰寝港にあった。指宿市の山川港とともに、この港は明人に限らず、ポルトガル人の商人も多く来航した。
フランシスコ・ザビエルを案内したヤジロウ(アンジロウとも)は、この地の出身者でないかとも言われている。また禰寝氏は、中山王の治める琉球王国との交易にも参加した。同氏が去ったことにより、大隅南部は活気は失った感があるものの、江戸時代半ばの吉利当主・小松清香(同氏直系は彼の代に名字を小松に改め、平姓となった)は、祖先に高い関心を有し、本貫地の根占・佐多にある史跡(墓跡を含む)を整え、先祖を顕彰した。