南品川
町丁
青物横丁駅
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度36分43秒 東経139度44分35秒 / 北緯35.612036度 東経139.742936度 / 35.612036; 139.742936
国 日本
都道府県 東京
特別区 品川区
地域品川地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口19,346 人
世帯数11,295 世帯
面積([2])
0.8231111 km²
人口密度23503.51 人/km²
郵便番号140-0004[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート品川
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南品川(みなみしながわ)は、東京都品川区の地名。現行行政地名は南品川一丁目から南品川六丁目。住居表示実施済区域。
かつての品川宿(江戸時代)の南半分に相当する。
地理に接し、これを境に東品川に接する。南部は概ね東京都道420号鮫洲大山線に接し、東大井に接する。西部はJR線(東海道本線など)の線路に接し、これを境に広町に接する(いずれも地名は品川区)。町域内を南北に第一京浜が、南東部にはジュネーブ平和通り(第一京浜の交差点からは池上通りと名称が変わる)が通っており、五丁目内に仙台坂がある。また北東部にはゼームス坂通りがある。また東部の一丁目・二丁目・三丁目内には旧東海道が通っており、通り沿いは商店や寺院などかつての品川宿の名残を見ることができる。
町域内には京急本線の線路が第一京浜と並行して走っている。新馬場駅と青物横丁駅が置かれ、住宅地の他には寺院や商店、工場なども見られる。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、南品川1-3-13の地点で63万円/m2、南品川6-7-36の地点で72万8000円/m2となっている[5]。 江戸時代の品川宿(現在の青物横丁駅付近)には非人頭松右衛門に支配された非人系部落があったが、第一京浜国道の建設に伴って南品川のゼームス坂下に移転した[9]。世帯数は約2000であった[9]。歌川広重 2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口 国勢調査による世帯数の推移。 世帯数推移年世帯数 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年4月時点)[16]。 丁目番地小学校中学校(2019年度入転学)中学校(2020年度入転学)
地価
通り
ジュネーブ平和通り - 第一京浜から青物横丁駅前を通り、品川シーサイドフォレストまでの720mの通り(南品川3丁目)。品川区と友好都市提携を結んだスイスのジュネーヴ市から、Avenue de la Paix(フランス語で「平和通り」)の標識が送られたことから地元住民の要望により名付けられた[6]。江戸時代に海外に流出後、行方不明となった品川寺の梵鐘が大正時代にジュネーブのアリアナ美術館で発見されて返還され、品川区から新しい梵鐘を贈ったことにより友好都市となった[7]。
ゼームス坂通り - JR大井町駅から第一京浜(国道15号線)に出る道にある長さ約400メートル、最大勾配約3.5%の坂道(南品川5・6丁目)。元は浅間坂(せんげんざか)と呼ばれる急坂だったが、英国人のJ.M.ゼームス (J.M.James, 1839?1908) が私財により緩やかな坂にしたことから名付けられた。ゼームスは幕末の慶応2年(1865年)にジャーディン・マセソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872年)に海軍省の嘱託になり、測量調査や航海術を指導した。生前から仏教に帰依し、山梨県身延町の久遠寺に眠る[8]。
歴史
世帯数と人口
南品川一丁目871世帯1,578人
南品川二丁目1,320世帯2,111人
南品川三丁目1,112世帯2,101人
南品川四丁目2,564世帯4,320人
南品川五丁目3,355世帯6,169人
南品川六丁目2,073世帯3,067人
計11,295世帯19,346人
人口の変遷
1995年(平成7年)[10]15,766
2000年(平成12年)[11]15,605
2005年(平成17年)[12]15,492
2010年(平成22年)[13]16,803
2015年(平成27年)[14]18,812
2020年(令和2年)[15]20,387
世帯数の変遷
1995年(平成7年)[10]7,703
2000年(平成12年)[11]7,935
2005年(平成17年)[12]8,247
2010年(平成22年)[13]9,444
2015年(平成27年)[14]10,644
2020年(令和2年)[15]11,918
学区
南品川一丁目全域品川区立城南第二小学校品川区立東海中学校品川区立東海中学校
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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